医食同源〜かれーな印度カレーを召し上かれー2

かれーな印度カレーを召し上かれー2
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昨日は拙宅で「七人の侍」上映会。
200分の長尺を観たあとは、水産会社の友人が提供した岡山邑久町(おくちょう)の生ガキを、日本酒李白で流し込みました。

何度も見ているSeven Samuraiですが、あまりに書くことが多過ぎて言葉になりません。「七人の侍」に関しては、後日機会があれば書くことにして、本日は意外に好評な「医食同源」シリーズの続きをUPすることにいたしましょう。

今回も全30話ほどある「かれーな印度カレーを召し上かれー」、その2です♪

 かれーな印度カレーを召し上かれー・2
カレーを選んだ日本人の浮気な舌 

掲載日:2005年8月31日

相変わらず暑い日が続く・・・と言いたいところだが、8月も終わりになると、さすがに朝晩は涼しくなり、東京じゃあ、ぼちぼちツクツクボウシが鳴きはじめたところだ。

あっしらの若い頃は、夏真っ盛りでもこのくらいの気温だったような気がするが、それにしても、暦だけは容赦なく過ぎていくわな~。お客さんがたのお子さんたち――夏休みの宿題は、もう終わったかい?

昔は夏休み日記につける天気の辻褄合わせに大変だったもんだが、今じゃあネットを見れば一発で、いつどこの天気でもたちどころにわかる。まったく便利な時代になったもんさね。

もっとも、あっしのような年寄りからすると、子供にあんまり楽をさせるのは、どうにも感心しねえ。どうせ人生、どこかで苦労するんだから、宿題でヒーヒー言わせるくらいなら構わねえと思うんだがね~。

もっともこれがこと商売となりゃあ、話は別だ。スイサンドンヤ・ドットコムさんの商品も、楽して安い食材を買えるとあって、お客さんがたにはまっこと申し訳ねえ♪

先日キャンペーンを行った、無頭殻付き海老IQF(バラ凍結)も、本格派チーズケーキも大好評! いや~、お客さん。申し訳ねえが、これからも魅力的な商品をジャンジャン提供するんで、よろしく頼みますぜ!

カレーを選んだ日本人の浮気な舌 

さあ、「かれーな印度カレーを召し上かれー」。2回目の今回は、カレーライスが日本にどう伝わったのかを探ってみよう。

食い物の歴史というのは、実に不思議なものだ。

食材ってえのは、一過性のもの。食べてしまえば、消えてなくなってしまうわけだから、資料がなかなか残らない。たまたまレシピが残っていたとしても、その時代の人が、本当の意味でどんなものを食べていたのかは、実際にはわからないのさ。

あっしの考えでは、食の歴史ってえのは、その時代に生きている人間の舌が、タテ方向、ヨコ方向に伝えられていくモンだと思っている(タテ方向とは時間の流れのこと。ヨコ方向とは、同時代に生きる人と人の間に伝達されること)。だからこそ民族固有の味覚ってえのは、保守的で変わらないように見えて、意外なほど簡単に移り変わるものなのさ。

最近の事例をあげると、ここんところ外国でも、ビールに枝豆ってえのが流行っているそうだ。日本にやって来て、ビールと一緒に枝豆を食べた外国人が、味を覚えて広めたんだろうねえ。ビールの本場、ドイツでも枝豆がもてはやされているそうさね。

どこの国の人も、美味しくて目新しい食材には、すぐに飛びつくし、また世代交代すればおのずと世の中の嗜好は変わっていく。今のようなボーダレスの時代なら、なおさらさね。

そんな意味で日本人のカレー好きも、明治時代に入ってきた、目新しい食の嗜好だったわけだね。  


大航海時代より明治維新でえ! 

 さーて。そんな意味で17世紀の大航海時代くらい、食べ物の歴史が劇的に変化した時代はなかった(現代を除いてな)。

欲の皮が突っ張った山師たちのおかげで、スパイスはもちろん、ジャガイモ、ニンジン、茄子やトマト、唐辛子といった、今じゃあ世界中どこでもある食い物が、世界中に広まったワケだ。

ところがわが国の場合――大航海時代というのは、ほぼ戦国時代の終わりから江戸の鎖国の時期に当たる。鉄砲やザビエルさんはお越しくださったか知らないが、鎖国によって交易の道は大幅に閉ざされてしまったため、この時期、日本の食が大幅に変化するようなことはなかった。

もちろん、ニンジン ※1 や唐辛子――そして当時、赤茄子と呼ばれたトマトも、この時代に入ってきた食べ物ではあるが、それらは日本人の食卓を大きく変えることはなかった。

日本の食生活が劇的に変化したのは、それから300年も経った明治維新からのこと。

みなさんが大好きなカレーライスが登場するのも、当然ながらこの後の話になるわけだ。

※1/ この場合は東洋種。ニンジンには京人参に代表される東洋種と、スーパーなどで見かけるヨーロッパ種がある。前者は16世紀頃、中国から伝わったもので、カレーライスに使われる後者は明治以降に入ってきたものである。

 カレーが生み出した東インド会社 

 日本のカレーライスが、直接インドからやってきたのではなく、イギリス経由でやってきたという話は、玄人のみなさま方なら先刻承知だろう。

はじめにポルトガル人がインドに持ち込んだカレーのレシピは、やがて本国ポルトガルでは姿を消し、インドで大きく発展した。ポルトガル人は胡椒――ペッパーだけでなく、クローブやナツメグなど、さまざまなスパイスを扱っていたらしく、最盛期にはスパイス交易の流通70%を連中が握っていたそうだ。

欲の深い当時のポルトガル人は、さらに首都リスボンにインド庁という役所を設け、胡椒の価格を吊りに吊り上げた。

ところが、それがイギリスやオランダ商人の欲望に火をつけて、インド進出に食指を動かせた――それが17世紀初頭、東インド会社 ※2 の設立につながったわけさね。

ご存じのように、東インド会社はスパイスなどの輸入を目的にしていたが、利権拡大のために、植民地経営に従事していたのは有名な話だ。

このイギリス人という連中――あれだけアジアやアフリカの国々を植民地にし、さんざん搾取を続けておきながら、呆れ返ったことに、新しい食文化をほとんど生み出さなかった。

あの国を旅行した人なら誰もがご存じだろうが、イギリスには英国料理と呼べる旨い食べ物が、まず見あたらない。

あるのはフィッシュ&チップスと呼ばれる、白身魚のフライにポテトフライ。

それからイングリッシュ・ブレックファストに代表される、ボイルドエッグやソーセージ。ベーコン。マッシュルームのソテー。ベークド・トマト。ベークド・ビーンズ。ブラック・プディング(血やレバーのソーセージ)。etc。

うーん。イギリスの代表的な作家、サマセット・モームは「イギリスでおいしい食事にありつこうと思ったら、朝食を三度食べることだ」 なんてことを、自虐的におっしゃってるけど、それでも毎食イングリッシュ・ブレックファストってえのもねえ・・・。

そんなイギリス人が生み出した、数少ない食の発明がカレー粉だったわけさ。

※2/ 東インド会社は、大航海時代にヨーロッパ諸国が、アジア地域の貿易を独占する目的で作った会社の総称。イギリス東インド会社、オランダ東インド会社、スウェーデン東インド会社、デンマーク東インド会社、フランス東インド会社がある。 知名度も悪名も高いのは、何といってもイギリス東インド会社だろう。

女王陛下は勝利の香りがお好き 

インドカレーのスパイス調合は、なかなかに複雑だ。

もちろん基本となるスパイスは3~8種類もあれば、格好はつく(コリアンダー、チリ、ターメリック、クミン。それにペッパー、カルダモン、クローブ、シナモン等)。しかし、それを発展させて、旨いカレーを作るとなると、そいつは結構な技術が必要だ。

ハッキリ言って、普段から大味なものしか食べてない一般のイギリス人に、インドカレーを作れといってもそいつはムリな話だったろう。また植民地時代、料理の類はすべてインド人のメイドにさせていただろうから、その必要もなかったワケだ。

味音痴だが合理的なイギリス人は、複雑なスパイスの調合をすることはせず、はじめから出来上がってるミックス・スパイスを考案した。

最初からスパイスを混ぜ合わせると、どうしてもフレーバー感は失われるが、大味に慣れてる連中にとっちゃ、そんなことは大したことじゃない。それより簡単にカレーが作れることの方が重要だったってわけだ。

 

実際に、現在のカレー粉に近い、ミックス・スパイスを最初に作ったのは(正確に言うと、作らせたのは)、ウォーレン・ヘイスティングズというベンガル地方 ※3 の総督だったそうだ。総督閣下はインド人に、ガラムマサラやカレーペースト用にスパイスをブレンドさせ、イギリス本国に帰った時に食べられるように仕立てたようだ。

それを本国で、かのクロス&ブラックエル社――かの有名なC&B社が目をつけて、さらに改良を加えたのが、現在のカレー粉のはじまりなんだそうだ。

C&B社の前身は、エドモンド・クロスとトーマス・ブラックエルがはじめたケータリング・・・つまり、いわゆる仕出し弁当屋だったそうだ。事業がうまく行くにつれ、彼らは次々に新商品を開発したそうだが、中でも、世界初のカレー粉「C&Bカレーパウダー」は、イギリス本国で爆発的にヒットした。

どうやら、当時のイギリス人にスパイスの香りは、ヨーロッパ列強の植民地競争における、勝利の香りに感じたらしい。

カレーはかのビクトリア女王にも献上され、陛下はその高貴な風味を喜び楽しんだという。やがて英国王室いっぱいに広がったカレーの香りは、イギリス一般家庭にも広まっていったという寸法さ。

※3/ 現在のコルカタ(旧カルカッタ)からバングラデシュにあたる、東インド地方。

ローストビーフのカレーはいかが? 

 C&Bカレーパウダーが発明されたのは18世紀の話だが、残念ながらあまり資料が残っておらず、どんな料理だったか詳しくはわからない。

そもそもイギリス人が残した植民地時代の資料を読むと(英語なもんで、あっしが読んだワケじゃねえけどよ)、どんな食べ物があったかは記されてあるんだが、それは旨かったのか、どんな味だったのかが、まるで書かれていないそうだ。

このあたりにも、連中の食に関する関心の薄さがあらわれているわけだが――この時代のあと、一般家庭ではローストビーフの余り肉で作ったカレーが食べられていたのは、わかっている。

一般家庭でローストビーフなんていうと、いかにもイギリス人が贅沢をしているみたいだが――何も和牛を食べてるワケじゃない。連中にとっちゃ、牛肉は日本人が3度のおまんまを食べるような、ごく普通の食材だってことさね。

大量に買ってきた牛肉の塊をローストビーフにして、そいつをおよそ1週間かけて食べるんだが、さすがのイギリス人も同じものばかりでは飽きてしまったんだろう。

また今ほど冷蔵技術のなかった時代だから、どこかで火を入れないといけなかったというのもあるのかもしれない。そんなもんで、当時のイギリス人は週に1度はビーフカレーを食べていたらしい。

では、今はどうかというと、イギリスの家庭でカレーを作ることは、ほとんどないようだ。カレーは外食で食べるもの。それも英国式カレーではなく、インド料理のレストランで食べるというのが、現在のスタイルだそうだ。

つまり世界の中で、今でも英国式カレーを一般的に食しているのは、日本ってことになるワケだが・・・いけねえ、いけねえ!

夢中になって語りすぎて、時間がなくなっちまったぜ。明治以降、どうやって日本にカレーが入ってきたかは、次回にお話いたしやしょう。

それじゃ、お客さん! 次回をお楽しみに!

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