マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 2
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昨日の大相撲、われらが稀勢の里は初顔から2連敗していた逸ノ城に完勝。
白鵬は先場所負けてる高安相手に物言いのつく相撲で、何とか全勝を維持。
昨日のきせの相撲なら、今場所も白鵬が大汗をかくことは間違いなし。
今場所はぜひ、結びの一番で稀勢の里vs白鵬を見たいものであります♪
というわけで、本日は「医食同源」新シリーズの「マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!」の2話めをUPいたします。
前回も申し上げたように、こちらの掲載は2004年7月と10年以上も前の記事。
このシリーズの6話めあたりから、ようやく写真がUPされてきますが、それもごく小さい解像度でした。
今回も記事には直接関係のない、最近のイタリアンなどの写真を入れてますこと、ご了承のほどを。
マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 2
貧しさから生まれたイタリア料理
掲載日:2004年7月7日
まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!
いやあ、お客さん。先日あっしは、あるIT会社の若社長さんから
「ゲンさん、俗に『食は三代』なんてことを言うけど、あれは本当ですか?」なんて尋ねられたんだがね。・・・「食は三代」ってえのは、ご存じのように本当に味がわかる人間が育つには、財を築いて三代かかるってえ例え話だ。
よく聞かれる質問だったんで、あっしは即座に「そいつは嘘でもあり、本当でもあらあな」と返事をしたんだが――その若社長さん、どうやら白黒はっきりさせたかったらしく、
「ゲンさんらしくない。そんないい加減な返事じゃ困ります」と食い下がったのさ。
へへへ。ヤッコさん、まだまだ若いやね。
料理人や仲卸人などについて言えば、「食は三代」は必ずしも当てはまらない。必要なのは個人が持つ味覚のセンスと、本人の精進だ。
北海道の貧しい寒村で育った人が、フレンチの三ツ星シェフに出世することもあるし、反対に味覚音痴の三代目だっていないことはない(このあっし、イダテンのゲンさんだって、お世辞にも良家の出とは言えねえからな、がはははは!)
だが、食をとりまく社会環境やシステムに関して言うと、「食は三代」というのはある意味、本当だろう。なんせマグロの切り身ひとつにしても、それが提供できるシステムには膨大な時間と費用が必要だからな。「食は一日にしてならず」ってことさね。
そう言ったら、その若社長――妙に納得していたな。
まあ、スイサンドンヤ・ドットコムさんは三代かかる食のシステムを、ITで供給できるフードショップだ。このシステムがさらに普及すると、本当に「食は三代」が昔話になっちまうかもしれないな。
「食は三代」、その本当の意味って?
さて、今回はイタリアンの2回目、今回はイタリア料理の成り立ちを中心にお聞かせいたしやしょう。
俗に「ローマは一日にしてならず」と言うが――だからといって食文化の成熟に1000年の時間は必要ない――というのがあっしの持論だ。
それこそ食べるのが好きな世代が三代も続けば、その地域や国の料理は十分熟する。
実は世界の代表的な料理も、成熟されて現在の形になったのは意外なほど最近の話だ。
前にも話したように、イタリア料理のトマトは17世紀の大航海時代に、中南米からやってきたものだ。また、フランス料理も17世紀末から18世紀初頭、ルイ14世がイタリアンをベースに発達させてからだと言われている。
インドのカレーも、大航海時代にポルトガルから持ち込まれた料理法だし、四千年と思われている中華料理も、本当に発展したのは西太后の時代だから、150年そこそこのものだ。
そんな意味で、イタリアンが料理として成熟してきたのは、そんなに昔の話ではないとあっしは考えている。(もちろん、イタリア料理には何百年も前のレシピが、ちゃんと残ってはいるが、それだけではないってことなんだよ)。
貧しさから生まれたイタリア料理
フレンチはルイ14世、中華は満漢全席の西太后――料理というのは一部の貴族や王様によって発展してきた側面がある。食というのは、お金をかけようと思うと、膨大な金額と手間ひまがかかるわけだが、昔、それが出来た人は一部の金持ちに限られたってことだろう。
ところが意外なことにイタリアンってえのは、貧しい農村・漁村の暮らしから生まれた料理が少なくない。
もっと正確に言うと、富裕層の料理と貧しい人々の料理が程よく融合されたのが、現在のイタリア料理と言えるだろう。このあたり、イタリア人がいかに食い意地が張った連中かってことを示しているわけさね。
イタリアも日本と同様、わりあい最近までは貧しかった。※1
たとえばイタリア北西部のリグーリア地方には、メスチューワという”混ぜ合わせ”を意味する豆料理がある。
これは、ひよこ豆と白インゲン、小麦を別々に茹でて塩味をつけて和えたものなんだが、これはもともと雑穀をかき集めてきただけの貧しい料理なんだ。だが、これは日本の雑炊にも通じるやさしい味の料理で、小麦のプチプチした食感と豆のほっこりした味わいがたまらない一皿さね。
北部から中部にかけてのイタリアには、雑穀料理が多い。
ニョッキのように小麦粉と卵、裏ごししたジャガイモを練り込んだ料理や、ポレンタなんていうトウモロコシの粉を牛乳とバターで溶いた、イタリア版もんじゃ焼きみたいな料理もある。
ポレンタは地方によっては蕎麦粉を用いる。蕎麦やイモってえのはご存じの通り、痩せた土地でも育つ、ある意味で貧者の食べ物といえる。
昔は家畜の餌に使うような雑穀を人間さまの食材に用いていたわけだが、時代が経つにつれ、高級レストランでも出すような料理へと進化していったわけだね。
(※1 筆記者注:北部イタリアは1950年代から70年頃にかけて、『ミラノの奇跡』と呼ばれる驚異的な経済発展を遂げた。南部イタリアはそこから取り残され、貧富の格差が開いていったのだが、それでも近年はそれが改善されつつあるという)。
イタリア人は農耕民族だった?
一方、イタリア南部は北部よりもさらに貧しかったが、ふりそそぐ太陽と、石灰質の山岳地のおかげでかえって豊かな農作物を生んだ。
もちろん、その当時に新参者のトマトなんてなかったろうけど、小麦やオリーブ、ブドウなんてえのは、ローマ時代の絵画や彫刻にも描かれているくらいで・・・命を育む重要な作物だったんだな。
ヨーロッパ人というと、ひとくくりに狩猟民族のように思われているが、それはドイツやイギリスのように、寒くて野菜が育たない地域の話だ。もともとイタリア半島の住民はローマ時代以前から農耕を中心に生活してきた経緯がある。
またローマ時代には牛をたくさん放牧していたものの、それを食べることは許されておらず、もっぱら農耕や酪農用として用いられていた。
飽食のローマ人――満腹になったあとも喉に羽を入れてもどし、そしてまた食べるという彼らイメージからすると、牛肉を食べなかったなんて、ちょっと意外な気がするけどな。
さて、ローマ時代からあったかどうかは定かでないが、現在のイタリアで小麦といえば、デュラム小麦が有名だ。
こいつらはイタリア半島の長靴の先っぽ――プーリアとレッジョ・カラーブリア地方――そしてシチリア島といった、乾いた山岳地域で収穫されるんだが、これがスパゲッティやマカロニをはじめとするパスタ類に最適なんだ。よくデュラム・セモリナ粉100%と表示されているのは、こいつのことだね。
デュラム小麦は俗にマカロニ小麦とも呼ばれ、柔軟なグルテン(小麦タンパク質、麩質とも言う)を豊富に含み、黄色味が強いのを特徴とする。
たいていのパスタが黄色いのは、卵を練り込んでいるだけじゃなくって、もとのデュラム小麦が黄色いからなんだ。
南イタリア、太陽のトマトくん!
もういっちょう、南イタリアの特産品といえば、「オー・ソレ・ミオ(おお、わが太陽よ)」とばかり、日の恵みを吸収したトマトくんだろう。
「ポンペイ最後の日」で知られる、ナポリ近郊のベスビオ火山のふもとには、サン・マルツァーノ地区というイタリアン・トマトの一大生産地がある。
地名に因んだサン・マルツァーノ種という長いトマトは(水煮缶に使われるもの)、水はけの良い火山灰が大好きなんだ。こいつらは水分も少なく、酸っぱいタネの部分も少ないんで、煮込む料理に向いてるんだな。
トマトってえ野菜は水や肥料を抑え、たっぷりのお日さまを浴びるさせると、なぜか濃厚で甘みの強いものができるんだ。サン・マルツァーノ種だけでなく、チェリートマトなど、ほかの種類などでもそれは同様だな。
このトマトにパスタとオリーブが加わると、「南イタリアの女王」とも言えるトマト・スパゲッティが出来上がりさね。
イタリアでもサカナは体に良いぜ!
20年ほど前の話だが、イタリアで人口統計の調査をしたところ、所得水準が半分以下である南部の漁民たちの平均寿命が、イタリア内陸部の富裕層より10年以上長生きしていたという驚くべき結果が出たそうだ。
その食生活を仔細に調べたところ、南部の漁民がおもに食べていたのは魚介類に穀物と野菜・・・そしてわずかな肉で、使う油はオリーブオイルだった。
一方、内陸部の富裕層は肉中心のメニューに加えて、ラードやバターなどの動物性の油を使い、それに対して水産物や穀物、野菜などの割合は圧倒的に少なかったというんだ。
そこで南部の漁民の栄養バランスを調べてみたところ、それはそれは理想的なものだったそうだ。その調査をきっかけに、富裕層の食事などはずいぶん変わってきたという話も聞いたことがある。
イタリア料理の栄養バランスが良いのは、そういった背景があるからなんだろう。
よく粗食は長生きというが、そうではなく偏りのない腹八分目の食事ってえのが、きっと体に良いんだろう。
ともかくもお客さん、どこの国でもサカナってえのは体に良いってことさね!
フレンチもイタリアンから始まった
さて、イタリアンにはそのルーツに豪華な宮廷料理もあることを忘れちゃならねえ。
約7~800年前のレシピに「ボニファッチオ8世風タリアテッレのティンバッロ」というのがある(横文字の苦手なゲンさんだが、笑わねえでおくれよ)。
ボニファッチオ8世ってえのは、世に言うローマ教皇だ。きっと教皇さまのお好きなメニューだったんだろうな。
タリアテッレというのは、イタリア風のきしめんで、平たくコシがあるのが特徴で、クリームやホワイトソースによく合うパスタだ。
ティンバッロってえのはさまざまな食材をパスタ生地で包んで、それを洗面器状の型にいれて焼くという、ローマの郷土料理で・・・何でもオーケストラで使う太鼓、ティンパニーの形から名前が来ているらしい。
8世さまの料理は、まずティンパニーの型にパスタ生地を敷いて、その上に生ハムを敷き詰める。そこにタリアテッレにトリュフと野菜、ミートボールを和えたものを入れ、そいつをオーブンで焼くという、当時としては何とも手のこんだ料理だ。
こうしたレシピを編み出したコックさんたちは、その後カトリーヌ・デ・メディチとか言うわがまま女に連れられて、おフランスに渡ったそうだ。いわゆる貴族の嫁入りってヤツだが、そのお嬢さまと一緒に、現在のフランス料理のルーツが伝わったというお話さ。
ローマの魚醤、ガルムの味やいかに?
おしまいに、ローマ時代の調味料についてお話しよう。
当時、主に使われていたのは、ワインビネガー、ハチミツ・・・そしてガルムだ。ガルムというのは、何度かお話したことがあったと思うが、いわゆる魚醤のことだ。いわば、タイのナンプラー、ベトナムのニョクマム、日本で言うしょっつる、いしりの親戚だな。
魚醤ってえのは旨味のカタマリと言って良いだろう。そのためかラーメンなどのかくし味に使われることが多い。
ガルムの場合、大きな瓶にアンチョビー(イワシ)と塩を交互に重ねて発酵させ、天日にさらした上澄み液を使ったという記録があるそうだ。古代ローマ人は何にでもガルムを使ったらしい。ちょうど日本人が醤油や味噌を使うようにかけたんだろうな。
11世紀の記録を最後に、なぜかこの調味料は姿を消してしまうんだが、最近になって本国イタリアでは、南部を中心にガルムを使った料理を出す店が増えてきた。
日本でも銀座6丁目にあるイゾリーナという店で、ガルムを使ったパスタが楽しめる。上澄み液を使っているためか、しょっつるはもちろん、ナンプラーやニョクマムよりさらに淡白な味だ。この店はナポリ風のピッツァが旨いんで、合わせて試してみてはいかがかい?
さて、暑くなってきやがった。こんな時期には白身魚を冷えた白葡萄酒でやっつけるのもわるくねえ。
じゃあ、お客さん! 次回をお楽しみにな!
マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!
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