マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 7
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本日も昨日に引き続き、「医食同源・マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 」の7話目を公開いたします。
お楽しみいただければ幸いです♪
マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 7
ちょっくらヴェネチア物語を一席
掲載日:2004年9月22日
まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!
今年は台風の当たり年っていうのか、上陸回数はすでに過去最大とのことだ。先日も、あっしは商用で熊本は阿蘇に出かけていてな・・・そこで、あの台風18号の直撃に遭っちまったのさ。いやはや、九州の台風ってえのはモノが違うというが、雨風が地面と平行に吹いてくるんだから驚きだ!
もちろん、どこにも行くことなんかできないから、宿でじっと温泉三昧さ。
風がおさまった頃を見はからって表に出たところ、そこいらで木々や看板が倒れていて、道路には葉っぱや木の枝が散乱している。信号機は止まっているし、あちこちで屋根は吹き飛んでいるし、窓ガラスは割れているし・・・いやはや自然の脅威の前には、人間の作り出したものなんて、ひとえに風の前の塵に同じだよな~。
何、ゲンさん。サカナ屋のくせに、何で阿蘇みたいな山の中に行ったんだって?
どうせ接待ゴルフだろうってか?
お客さん、そいつは当たらずしも遠からずってトコだが――スイサンドンヤ・ドットコムさんのカタログを見てもわかるように、今やあっしイダテンのゲンさんが取り扱うのは海のモンだけじゃねえ。野菜から肉から・・・それこそトリュフやフォアグラまで扱う、よろず食べ物商売だ。そんなワケで、取り引きのある牧場に出かけていったわけさ。
みなさまに食材を提供するため、このイダテンのゲンさん――雨にも負けず、台風にも負けずで日夜奮闘中だ。
新カタログの食材仕入事典ともども、よろしくおたのみ申しやす!
リヴィエラはどこにある?(リグーリア州)
今回の「マンマミーア・イタリアン」は海のお話。
それも海産物の話だけじゃなく、交易などの話も織りまぜてみたい。まずはジェノヴァとヴェネチアという、中世イタリアにおける、2大海洋都市の物語を取り上げてみようかい!
お客さんがたも、カラオケで一度くらいは森進一の「冬のリヴィエラ」を熱唱したことがあるだろう。だがリヴィエラって所が、いったいどこにあるのか答えられる人は、案外と少ないんじゃないかい?
ちょっくら地図を見ておくんな。
リヴィエラというのは、地中海はリグーリア海に面する全長約300kmに及ぶ海岸地方で、まさにこのリグーリア州周辺のことを言うのさ。(※1)
地形を見てもわかる通り海に面した州だから、当然サカナは旨い。
ただ以前にも話したように、地中海ってえのは穏やかなことで有名だ。日本近海のように、親潮や黒潮が流れている荒波とはワケが違う。
激流を泳いでくる日本近海のサカナは、当然ながら身が締まっていて、刺身なんかにするとたまらねえ旨さだ。
その一方、地中海で漁獲されるサカナは、穏やかな海でのほほんと育ってやがるから、身も柔らかく、刺身には向かない。フライにムニエル、そしてアクアパッツァといった、水分を抜いて身を締める調理法が多いのも、そういうワケさね。
ところでリグーリア海というのは、海がいきなり深くなるんで、地形から思うほど良い漁はできない。近海で採れたものはそれほど数は多くないのが実情だ。
ただ、リグーリア州の州都ジェノヴァはヨーロッパ有数の港。ここを通じて地中海じゅうの水産物が入ってくるんだが、サカナだけじゃねえ。中世のその昔には、スパイスや小麦、米、豆など、さまざまな食材が持ち込まれてきたのさ。
※1 リヴィエラとは海岸を意味する言葉。ジェノヴァを中心に西リヴィエラと東リヴィエラに分けられ、西は南フランスにかけての海岸をも含まれる。
港ジェノヴァが生んだもの
ジェノヴァというのはコロンブス生誕の地として有名だ(イタリア名・コロンボ)。
稀大の山師さんが生まれた場所とあって、ここには港町独特のいかがわしさがある。地形を見ての通り、ここは海からも陸からも、人々が自由に行き来できるようになっていて――町を歩くと、地元のイタリア人はもちろん、フランス系やスペイン系、そしてアラブやアフリカ系の人種がクロスオーバーしている。
人間が行き来をすれば、食べ物も自然と行き来するワケだが、リグーリア州では地物の特産物と、よそから来た素材が合体したレシピが多い。
有名なジェノヴァ・ペースト(ペースト・ジェノヴェーゼ)も、そんなクロスオーバーによって生まれたもののひとつだ。
ジェノヴァ・ペーストはご存じの通り、バジリコを潰して、ニンニクとチーズ、松の実、オリーブオイル、塩と一緒にペースト状にしたシンプルなソースだ。こいつを茹でたパスタやニョッキ、トロフィエ(カリントウを細くした形のパスタ)に和えて食べるんだが、シンプルなだけに、ちょっとした塩梅が大きな味の差になるってシロモノさ。
リグーリア州は海と山とを同時に持つ地形だ。その潮風溢れる独特の気候のもと――美味しい野菜はもちろん、香り高いハーブが育つことで知られている。
この柔らかなバジリコで作るペーストに合うのが、サルディニア島から渡ってくるペコリーノ・チーズ(羊乳で作られたチーズの総称)だったんだ。牧草地がないリグーリア州は、当然チーズというのは他の地域から運んでこなければならない。
ところが近隣のチーズ名産地、ロンバルディア州やエミリア・ロマーニャ州は、陸続きだが山に遮られていたもんで、大量輸送が可能な海路によって、サルディニアから運んできたんだな。
今も昔も船ってえのは、もっとも安く大量の貨物を運搬できる手段だったわけで・・・食い物の歴史ってえのは、ある意味で交易の歴史でもあるということさね。
ちょっくらヴェネチア物語を一席(ヴェネト州)
10世紀から18世紀頃にかけての永きに渡り、ジェノヴァのライバルとして君臨していた、もうひとつの都市国家があった。それが、アドリア海の女王と称えられた、かのヴェネチア共和国だ。
英語名ヴェニスと呼ばれるこの海の都は、世界有数の観光地として知られているが、その成り立ちは、現在のロマンチックな姿とはほど遠いものだった。
余談になるが、あっしが調べたヴェネチア物語――ガラでもねえのは先刻承知だが、どうぞ聞いておくんなせえ。
今を去ること1500年前、ローマ帝国の末期。
アッチラ率いるフン族(※2)が猛威をふるいながら、ヨーロッパを席巻し、北イタリアをも平らげていった。当時、ヴェネト地方の人々はもちろん――北部ヨーロッパの人々にとって、アッチラの名前は泣く子も黙る存在で――ことその凶暴さにおいて、この暴君の右に出るものはいなかったと伝えられている。
抵抗する者、抵抗しなかった者、財宝を差し出した者、財宝を差し出さなかった者。また女子供、老人や病人といえども、アッチラの目に触れるものは、みな容赦なく平等に殺された。
恐怖におののく人々を導いたのが、ヴェネト地方にいたひとりの司祭だった。彼は人々に葦の茂る干潟(ラグーナ)に移り住むよう、神託を伝えたという。
本当に神様がそう言ったのかって?――野暮なことは、お言いでないよ。ともかくも、その地がヴェネチアの始まりだ。
当時、その地は魚のほかには何もない沼地であり――湿地帯はマラリアなど、さまざまな疫病にさらされていたに違いない。衛生環境が劣悪で、決して住みやすい土地でなかったハズだが、それでも蛮族に殺されるよりはマシだった。
それに、暮らすのに厳しい場所は、襲撃するのも難しいものだ。潟というのは身動きが難しい場所で、大きな船ならすぐに座礁してしまう。襲う方にしても、そんな土地から得るメリットもなかったんだな。
彼らが湿地に住み着いて数100年――やがてヴェネチア人の祖先たちは、潟に木の杭を打ち込むことを覚え、その上に海水に強い石をのせて地盤を作っていた。
地盤は柔らかく不安定だったが、彼らは想像を絶する努力によってそれを克服し、杭と石盤を礎にした土台に建物や道路を建設した。それと同時に水路をひらき、運河をひいていったんだ。
※2 フン族のルーツは中央アジアの騎馬民族とされるが、その詳細は不明。4世紀後半、現在のハンガリーを拠点に、ヨーロッパ全土でフン帝国の猛威が広まる。かのゲルマン大移動もフン族の圧力が原因とされるが、 453年、指導者アッチラの急死によって帝国は崩壊。
スパイスが築いた海洋立国
ヴェネチアの中心にリアルト橋って、でっかい橋があるのを知ってるかい?
あそこはただの観光の目玉じゃねえ、最初にヴェネチア共和国の都市建設がはじめられた、ヴェネチア人にとって記念すべき場所なんだ。
塩と魚しか資源を持たないヴェネチアの人々にとって、はじめから自給自足の考えなどなかった。つまり連中、根っからの商人(あきんど)なんだな。このあたりは、あっしら日本人に通じるものがあるかもしれない。
この点は、食についても同じことが言える。地場で採れるものは魚と塩だけ――米も小麦も肉も卵もワインも、すべて船によってよその地域から運ばれてものだったんだな。
10世紀後半からイスラム諸国と交易をはじめたヴェネチア共和国は、その後17世紀頃にかけて、一大海洋王国として発展する。
それから7世紀に渡ってヴェネチアに莫大な富をもたらしたのが、胡椒をはじめとする、ショウガ、シナモン、サフラン、コリアンダー、クミン、ナツメグなどスパイスだったんだ。ヴェネチア人は、これらスパイスをエジプトやトルコなどのオリエント商人から買い取り、ヨーロッパ全土へ売りさばいていったのは、有名な話さね。
スイサンドンヤ・ドットコムさんのような冷凍技術のなかった当時、スパイスが重要な保存手段だったことは言うまでもない。時にスパイスは、重量あたり金と同じ価格で取り引きされ、ヴェネチア共和国に莫大な富をもたらした。
また、何の資源もないヴェネチアだったが、塩だけは無尽蔵に採れた。塩もまた、スパイス以上の保存手段だったから、高値で取り引きされたんだ。
現在のサン・マルコ寺院も鐘楼も広場も――あのすべての町並みが、塩とスパイスで出来上がったと言っても過言ではないだろうよ。
カエルのリゾットに薬効あり?
ヴェネチアの料理をひもとくと、現在のあっしらの食生活に近いものを見出すことができる。つまり、ことヴェネチアにおいては、どんな貧乏人も完全な自給自足はできなかったんだ。だからこそ、ヴェネチアが交易で栄えた理由はあるわけだがね。
農地のない海の都において、作物の収穫することはできなかった。穀物は近場の陸地で採れた米やトウモロコシなどが中心。デュラム小麦は北イタリアでは収穫されなかったので、昔はスパゲッティなどのパスタを食べることはなかった。
この地方に料理にリゾットやポレンタ(トウモロコシの粉を煮込んだ料理)のメニューが多いのも、そういうワケさ。
それでもアヒルやガチョウは、どの家庭でも育てていた。飼育が簡単で、すぐに大きくなるこれら水鳥は貴重なタンパク源だった。
また貧乏人の料理となると、筆頭に挙げられるのがカエルの料理だろう。
海のヴェネチアにカエルはいなかったが、近隣の水田の副産物として、昔はいくらでも採れたという。カエルの収穫に費用はまったくかからなかった。夜に灯を持って水面に近づくと、群れをなして集まってきて、すぐ籠がいっぱいになったそうだ。
カエルは中華でも食材として珍重されているが、これが意外にデリケートな味わいなんだ。こいつは高タンパクで、卵白に多く含まれているアルブミンが豊富なため、病人食に適しているといわれている。
フライにしたり、リゾットにしたりと料理はさまざまだが、特にリゾット・デ・ラーネ(カエルのリゾット)は、パヴィアの町の大司教・聖シーロが、この料理によって、女性たちの病気を治癒させた伝承がある。
その話がホントかウソかは確かめようもねえが――今ではカエルは農薬で採れなくなったそうで、ヴェネチアでも高級食材になってるらしい。イタリア料理によくありがちな、貧乏人の料理が、高級料理に変わった典型的な例だね。
さて、時間が来ちまった。次回はヴェネチア料理といえば、これ!――という、あのカルパッチオを中心に、続きをお聞かせする予定だ。
それじゃお客さん、次をお楽しみにな!
マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!
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