マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 8
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しばらくぶりのブログアップですが、本日も「医食同源・マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!」のUP。8話めです。
明日は新ネタでブログアップいたします。
お楽しみに!
マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 8
カルパッチオは1963年生まれ?
掲載日:2004年10月6日
まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!
このところ世間さまじゃあ、プロ野球の場外乱闘の話題で騒がしいところだが――本来ならいちばん肝心の話――どこの球団が優勝するか、日本シリーズがどうなるかって話が、あさっての方向へ行っちまった。
何の商売にせよ、売るモノの中身がいちばん肝心だ。尾ひれの話や場外の話は、あっても構わねえけど――そいつがメインになるのは歓迎できねえ。
ともかく、早いとこ野球の中身が話題になるようになって欲しいもんさね。
そんな意味で、近頃あっしは「売るものの中身」をいつも考えてる。
そうさね、お客さんがたは、スイサンドンヤ・ドットコムさんの新しいカタログ、「食材仕入事典」はご覧になったかい?
手前味噌になるが、今回のカタログは素晴らしい出来だよ!
商品のボリュームアップは当然のこと。欲しい食材の産地や特徴、解凍方法などが懇切丁寧に記されていて――たとえば、旅館やホテルの朝食ビュッフェにはこれが最適、高級メニューでアクセントをつけたい時はこれ――といった具合に、どんな時にどの商品が必要か、文字通り「事典」のように引き出すことができるのさ。
インターネットが得意なお客さんも、苦手なお客さんも――いつでも、どこでも、好きな食材を欲しい時に、欲しいだけ入手できる虎の巻・・・。
そいつが新しい「食材仕入事典」ってワケさね。
アドリア海の「食材仕入事典」(ヴェネト料理)
今回の「マンマミーア・イタリアン」は前回に引き続き、アドリア海の女王と讃えられたヴェネチア料理(ヴェネト料理)についてお聞かせいたしやしょう。
七つの海をまたにかけ、スパイスや絹織物をかき集めてきたヴェネチアの商人たちは、食の飛脚・イダテンのゲンさんにとって、ちょっと他人に思えないものがある。
なに、ヴェネチアとゲンさんなんて、何だか似合わないってか?
そう言わずお聞きよ、お客さん。そら、あっしら日本人にとって、ヴェネチア料理の経緯は聞けば聞くほど、他人事とは思えないものがあるのさ。
食料自給率が低かった――というより、魚と塩以外は何ひとつ採れなかったヴェネチアには、だからこそ、世界中のありとあらゆる食材が集まった。これは今の東京で、世界中の料理が食べられるのとよく似ている。
10世紀後半から18世紀の700年間――ヴェネチアもまた、経済を原動力にさまざまな料理を作り上げたのさ。
スパイスによって得た莫大な資金(時に重さあたり金と胡椒は、同じ価格で取り引きされた)によって、これ以上ないというほど豊富な種類の食材を得ることができたわけだ。
ありとあらゆる魚介類に加え、牛や豚、鶏、羊に馬肉、カモやガチョウ、ウサギにカエル。米や小麦にインゲンやエジプト豆(ひよこ豆)などの穀類、アスパラやタマネギ、ピーマン、アーティチョク、そしてフルーツなど――当時とすると、世界の食材がヴェネチアという小さな地域に集まってきたわけさね。
いわば、ヴェネチアはアドリア海の「食材仕入事典」だったというワケさね。
ゴージャス好きなヴェネチア人
こいつは、エビ太郎・エカキ先生の受け売りだが――ヴェネチアには宴会をテーマにした絵が多いそうだ。有名なのは、ヴェロネーゼという画家の「カナの婚礼」だそうで・・・なんでもキリストがカナの町の婚礼に呼ばれた時、カメの中にあった水をワインに変える奇跡を描いたモンなんだってよ。
何、それなら宗教画だろうって?
それが、磔にされて死にかけてるキリストと違って、ゴージャスな祝宴を描きたいがために流行ったテーマなんだそうだ。
そんな派手好みなヴェネチア人の気質は、今でも2月のカーニヴァルに垣間みることができるのさ(もっとも、彼らは質素な一面も持っていたそうで――その辺が、豪華さと素朴さを合わせ持つイタリア料理に通じるのかもしれない)。
文献によれば、ルネサンス時代の味覚は今とは随分違ったもので、どうやら甘辛くスパイシーな味を好んだらしい。
肉はスパイスと塩で味付けされた。
ソースはオレンジやイチジク、リンゴなど、フルーツの砂糖漬け&ジャムを、辛子で和えたものや、卵黄をレモン汁で溶いたもの等が好まれたという。
鶏肉のザクロ風味や、レーズンと松の実にオレンジソースを加えたラビオリ。
豚肉や子羊には、シナモン、クローブ、カルダモン、ナツメグ、ショウガにレーズン、ブドウ汁を加えて煮詰めた「サラセン風ソース」などが使われたという。
保存技術が限られていた昔は、素材の持ち味を生かすなんて芸当は、それこそ生産地でないとできなかった。当然、肉にスパイスや塩をまぶしたり、ソースを煮詰めたり、砂糖漬けにして、日持ちを良くさせたりといったレシピが主流だったのも納得さね。
どう考えてもこれらは、シンプル・イズ・ベストを信条とする現在のイタリアンとは、程遠いものだ。実は、イタリア全土でシンプルな料理が好まれるようになったのは、新鮮な素材が手に入りやすくなった最近の話なんだ。
世界をめぐるヴェネチア料理
ルネサンス、ヴェネチアの味――それは今となっては、想像するほかない。
チキンのハチミツソースのように、甘辛さにハーブやスパイスの香りがミックスされた味をあっしは想像するんだが、たぶんもっと濃くてキツい味だったんだろう。
今のイタリアンでは、ドルチェ(デザート)以外の料理で、砂糖などの甘味を使うことは、まずない。だからヴェネチアはもちろんイタリア本国でも、前述のサラセン風ソースのような、甘辛く濃厚な味はほとんど残っていない。
ただ、この時代のレシピは、中部トスカーナ地方に残っているそうだ。イノシシ肉のチョコレート風味という料理で・・・うーん、どうなんだろう。何だか、肝臓と動脈が叫びを上げてしまいそうなシロモノだな~(エルビス・プレスリーは、肥満に苦しんだ晩年には、ハンバーガーに板チョコを挟んで食べていたそうだがね)。
ここで思い出されるのはメキシコ料理にある、モレソースというチョコレートをスパイスで煮詰め(砂糖が入っているわけではない)、煮込んだ鶏肉と一緒に食べる料理だ。
ソースの材料は唐辛子をはじめとするスパイスやハーブ。タマネギ、トマト、ナッツ、胡麻、脂身やスープ、そしてチョコレート。これらの材料をなめらかなピューレにし、くつくつと煮込んで作る。
甘くはないし、カカオはメキシコ原産の食材だから、もちろんヴェネチア発祥でも何でもないんだろうが――あっしには、モレソースのこうした味覚に、七つの海を駆け巡っていた時代の名残があるような気もするんだよ。
サルサはイタリアで生まれた?
ヴェネチアに巨万の富をもたらしたスパイスは、保存の決め手としてだけでなく、当然味の決め手としても用いられていた。と言っても、インドのカレーのような、煮込み料理としてスパイスを使ったわけではなく、ソースとして好まれていたようだ。
現在では、スパイシーな昔のヴェネチア料理は、ほとんど姿を消してしまっているが、その中で「サルサ・ペアラ」と呼ばれるソースだけは、今でもヴェネト地方の人に愛されて残っている。
サルサって言うと、何だか中南米の踊りみてえだが、イタリア語でソースのことだ(たぶん、踊りの呼び名もその辺から来てるんだろう)。ペアラというのは、胡椒・・つまりペッパーのヴェネト方言(イタリア語はペペ)のことだ。
サルサ・ペアラの作り方は、まずバターを溶かし、細切れにした牛の骨髄(※1)を入れて溶かす。それにたっぷりのコンソメスープとパン粉を加え、2~3時間かき混ぜながら、弱火でコトコト煮る。仕上げはパルメザン・チーズと、よく擂り潰した胡椒を加える。
こいつを肉に添えて、各人が好みでソースを和えるわけだが、14~16世紀頃はさまざまな薬草やスパイスを使っていたらしく、ペスタトーリという擂り潰し屋さんまでいたそうだ。
こういった、ソースの数々はフランス料理にも大きな影響を与えている。
よく言われているように、フランス料理はイタリアンがベースになっていて――あの濃厚なソースも、きっと当時のヴェネチア料理の名残りもあるんだろうと、あっしは考えている。
※1 BSE問題が未解決のため、現在このレシピがあるかは不明。
カルパッチオは1963年生まれ?
さて、この辺でヴェネチア料理でもっとも良く知られている、カルパッチオの話をしよう。カルパッチオってえのは、16世紀頃に活躍したヴェネチアの絵描きさんの名前だそうだが、実はこのレシピができたのは1963年とたいへん新しい。
カルパッチョを考案したのは、ヴェネチアの伝説的リストランテ「ハリーズ・バー」の創設者ジュセッペ・チプリアーニ。シンプルをモットーとする現在のイタリア料理は、実はチプリアーニらを先駆けとする新しいスタイルがモトになっているそうだ。
チプリアーニいわく。
「私どもの常連さまに、さる伯爵夫人がいらしたのですが・・・その方が医師の指示で厳しい食事制限を余儀なくされました。
中でも特に火を通した肉はいけないとのこと。なんとか夫人に満足していただこうと、牛のフィレ肉をごく薄くスライスし、シンプルなソースを添えてお出しいたしました。私どもは、それをユニバーサル・ソースと呼んでおりますが、これは肉にも魚にも合います。
伯爵夫人には大いにお気に召していただきましたが、何かこのレシピに名前はないかということ。そこで、当時ヴェネチアで話題になっていたカルパッチョの絵画展が、頭に浮かびまして・・・この料理の色が、どことなくカルパッチョの赤を思わせたので、そのままこの巨匠の名を料理名にしたのです」
チプリアーニが考案したユニバーサル・ソースってえのは、マヨネーズにトマトピューレー、マスタード、ウスターソース、生クリームを和えただけのシンプルなものだが、特に決まりはない。
刺身文化の定着している日本では、マグロやタイなどの魚をカルパッチョにして出すことが多いけど、こいつは肉にせよ魚にせよ、新鮮でないと美味しくないレシピだ。
冷蔵や冷凍技術が発達した現在だからこそ、できるレシピかもしれねえな。
さて、時間が来やがった。
今日は外苑前のアル・ソリト・ポストで、ピッツァと明石鯛のカルパッチョを、白ワインで流し込むとしよう。
じゃあ、お客さん! 次回をお楽しみに!
マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!
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