▲「おまえ、顔見たんか?」と、思わずツッコミを入れたくなる、紫式部はんの石像ですわ(ふろむニセ関西人)。
平等院鳳凰堂を拝観したあと、どうやら源氏物語ミュージアムなるものがあるということで、話のタネに寄ってみることにしました。GoToキャンペーンも使えるそうだしね♪
源氏物語は三十路過ぎくらいの時に夢中になって読み、同時期にいくつもの作品に仕上げた書物です。
▼下の「宇治の恋」をはじめとして、源氏物語の部屋にある拙作は、会社員時代に描いたものがほとんどです。
この時期にバーっと描いたあと、フリーランスになってからは、なぜか描く気が起こらず、今に至るまでまったく手をつけていません。
今回、宇治市 源氏物語ミュージアムに立ち寄ったあと、なぜ源氏を描かなくなったか、わかる気がしました。(絵の中のアジサイは西洋種のもので、当時なかったものをあえて入れています)。
宇治は宇治十帖(うじじゅうじょう)と呼ばれ、光源氏が薨じた後、彼の子孫たちの物語の舞台になった地です。
宇治は当時、京の貴族の別荘地だったそうで、そこで繰り広げられた恋物語が宇治十帖というわけです。
源氏物語ミュージアムは、当然ながら宇治十帖オシ。
読んだのが何十年も前だったので、話もだいぶ忘れていましたが、展示を見ながら思い出してきました。
なんだ、これ。
貴族の皮かぶった、ゴロツキたちの話じゃないか。
源氏物語のあらすじを追いながら感じたことが、先ずそれでした。
もちろん、その時代の価値観を、現代の価値観で推し量ることはできません。
でも、出てくる主人公たちのふるまい…ひどいじゃないか。
人の女房に手を出すのは序の口、幼女を誘拐し拉致監禁、そして育成。
夜這いにロリコン、近親相姦、誰かれ構わず狼藉をふるまうその所業。
いや、30代の時だって、それくらいはわかっていたのですがねえ(笑)。
ミュージアムでは、そのような部分はすべて省いて展&解説をしていましたが、それだけ、余計にその素行のわるさが目立って感じられました。
それはそうです。
だって源氏物語に道徳や哲学といった要素は、ひとしずくもないのですから。あるのは、人の心のひだにひそむ込み入った感情、それに美についての徹底的追求です。
源氏物語ミュージアムを見て、あらためてそのことを再認識した次第。
ドナルド・キーン先生だったか、谷崎訳の源氏物語を「この労力のために、日本人は多くの谷崎作品を失った」とのこと。
モノを作る人が、深く立ち入ってはいけない世界なんだと感じました。
さて、せっかく来たので「橋姫」という、宇治十帖の中の一巻を映像化したという、20分ほどの映画を鑑賞することにしました。
ナレーションは緒形直人。
巫女の役で、宇治十帖に何の関係もない白石加代子が出てる、とてつもなくつまらない作品でした。
たしかに源氏物語は六条御息所をはじめ、怨霊が幾度も出てきますが…それにしても宇治十帖にこんな怨念の話が、どこにおんねん?・・・なんて、ウフッ♪
そしたらホラ…映画が終わって、「原作・瀬戸内寂聴」という文字が出てきましたよ。いや、なるほど。あらためて納得です。
このミュージアムの箱物感といい、そういうわけだったのね。宇治市が源氏オシというのも(以下略)。
そういえば前回に宇治を訪れた時は、源氏作品の取材だったな。
あの時は人生に煮詰まっていたものですが、今回の宇治訪問は空も晴れ渡り、何やら憑き物が落ちた感じです。