宇治のあとは伏見稲荷大社へ30年ぶりに参拝しました。
前回行った時は、先にも申し上げたように、源氏物語の部屋に掲載された作品の取材でした。
この頃は、まだ会社員をしてまして、人生の中でも一番煮詰まっていた時期かもしれません。
京都も外国人観光客などおらず、閑散としていた記憶があります。
俗にお稲荷様は嫉妬深く、稲荷参りをした時は、ほかの寺社に行ってはいけないなんて声がありますが、そんなことはありません。
お狐さまは神様ではなく、あくまで神様の使い。
わが国の八百万の神様は、ほかの神を敬ったからといってバチを当てるほど、了見の狭い神様ではありません。
でも、30年前に伏見大社に来た時は怖かった印象があったな。
寺社参りというのは、その時の自分の気持ちが表わされるのでしょうか。
そういえば、その時に境内にいた小意地のわるそうな女性の易者に、その場の勢いで将来を見てもらったら、嬉しそうにこう言いました。
「運勢は年が行くほどに下り坂。それにアンタ、父親との縁が薄いよ。気をつけな」
いやはや何とも。
それは大神様で「凶」を引いた時とは比べ物にならないほどの気落ちが…(笑)。
「はい、五千円ね」
30年前、5000円は高いなと思いながら、反射的にその占い師に差し出したのを覚えております。
以前、ジェームス川田という詐欺師に寸尺詐欺をされた金額も、同じ5000円。
きっと「コイツから取れる金額は、せいぜい五千円かな」と、思われたのかもしれません(苦笑)。
でも、年を重ねて運勢が下り坂になったわけでもなさそうだし、親父とは亡くなる前に一緒に本も出せたしねえ。易というのは「運勢が悪い」と言われるほど良いのかもしれません。
さて、千本鳥居の前にある重軽石で運試し。
結婚前、私とまだ会っていない時に、妻は重軽石で運試しをしたそうです。
念じて軽く感じたら、願いはすぐにかなう。
重く感じたら、願いは先になってかなう。
どちらも叶うんですから、伏見稲荷様はやさしいよね♪
結果、妻は軽く感じてすぐに願いがかなったわけですが、さ〜て、私の運はどうかな?
えいやあ!
おおお、何て軽いんだ!
これは願いごとが叶うに違い……
いや、待てよ。
何と、持ち上げるのに集中しすぎて、願い事を念じるのを忘れてしまいました。
もう我ながら、呆れかえった鳥頭です。
30年前とは比較にならない晴天。
いや〜、来て良かったわ!
夕日に楼門が映え、何か祝福されているような気持ちになりますね!
いや、伏見稲荷さま。
素晴らしい景色をありがとうございました!