マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 17
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今日の「医食同源・マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!」の17話めは、いよいよナポリピッツァの登場です。
この記事が掲載された10年前は、まだ東京にも本格的なナポリ風もちもち生地のピッツァは少なかった頃でした。
本場ナポリのピッツァは日本人の舌には、やや塩味がキツく、生地も肉厚なので端っこを残す人も多く、そのあたりは日本風に修正する店も出てきたようです。
写真は神谷町にあるナポリスタカのピッツァ。店主のペッペさんは生粋のナポリっ子ですが、やはりそのあたりは日本人向けにアレンジして出してると言ってました。たしかに日本で食べるには、ナポリと同じではやや胃もたれするかなという感じです。
では、お楽しみくださいませ!
マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 17
PIZZAはどこから来た?
掲載日:2005年2月15日
まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!
世の中、バレンタインで大にぎわいのようだが、こちとらゲンさんは、先日の節分で売りさばいたエビやシャケの補充で大童さ。そう、あの節分の太巻きの具に使う原材料だよ。
なんでも節分に太巻きを一気食いするってえのは、こいつは大阪の慣しだとかって話だ。そいつが全国区に広まったものだそうで、その年の恵方(えほう/今年は南南東)を向いて太巻き寿司を食べると福がこちらにやってくるんだとよ。
何だい、お客さん。実はそれってゲンさんたち商売人が、太巻きの材料を売るのに仕掛けた話じゃねえかってか?
やだねえ、そんな天の邪鬼(あまのじゃく)な見方をしてよ。
だがまあ、おっしゃる通り、太巻きさまのおかげで、エビやシャケ、イクラだのって食材は、ここんとこ売り上げが伸びたことはたしかだ、へっへっへ。何にせよ、健全に商売が伸びるってえのはわるいことじゃねえやな。
あっしのような中小の経営者にとって、何より大切なのは日銭ってヤツさ。いくらきれいごとや御託並べたところで、その日のおまんまが食えねえようじゃあ仕方ねえ。
そんなワケで、お客さまがた――特に中小企業を経営する方々の気持ちは痛いほどわかるつもりだ。時々、旅館やホテルのお客さまから、スイサンドンヤ・ドットコムさんのおかげで立ち直ったなんて、有難てえお言葉を頂戴すると、年のせいか涙腺がゆるんじまう。
これからも、この白髪頭に笞打って、お客さまがたのために誠心誠意、安くて旨い食材をかき集めてくるもんで・・・よろしくお願いいたしやす!
ナポリのくいだおれ
今回のマンマミーア・イタリアンは、いよいよナポリ料理(※1)と行ってみよう! 何つってもナポリはイタリアの中で、あっしがいちばん好きな町のひとつでもある。
ナポリは食い物が旨えのはもちろんのことだが、この町のもうひとつの魅力ってえのが、住んでる連中にあるだろう。これまた個人的な感想だがナポリの町ってえのは、あっしが育った深川あたりの下町に、なんだかよーく似てやがるのさ。大阪に似ているなんて人もいるが、それは同じような意味だろうな。
イタリア人に「ナポリ」というと、たいていそれだけで「プッ」と吹き出すところ。本音で生きているところ。人なつっこい・・・いや、なれなれしいところ。トトカルチョに夢中の親爺が、広場で暇そうにたむろしているところ。子供をどやしつける太ったおカミさんが、どこにでもいるところ・・・などなどだ。
ローマを「永遠の都」と呼ぶならば、ナポリは「永遠の劇場」だ。まさにナポリ人は一人一人が役者さながら・・・まあ、何だろうね、人情溢れる「寅さん」の世界っていうところかな(その反面、向こう三軒両隣り、まるで仕切りもプライバシーもねえんだな~)。
港町独特のガラの悪さはあるものの、兎にも角にも、ここの食い物はバツグンに旨い。
その中でも名高いオススメは、何と言ってもナポリ・ピッツァだ。
どのガイドブックを見ても「ナポリはピッツァ発祥の地、本場のピッツァを一度は堪能したい」なんて書いてあるけど、味に関して言えば正に看板にいつわりなしだ。
もしもこの町がピッツァの特許をおさえていたら、世界有数の財産をイタリアにもたらしただろう・・・なんて言われているほどで、ピッツァに対するナポリ人の情熱は、大阪人のタコ焼きも太刀打ちできぬほどなのさ。
今回はそんなナポリ・ピッツァのお話を、腹一杯聞かせ倒しやしょう!
※1 ナポリもイタリアのカンパーニア州に属する1都市だが、カンパーニア料理という呼び方はせずに、ナポリ料理、ナポリ風などと言う。この点はローマ料理と同じである。
PIZZAはどこから来た?
これまでもスパゲッティ・ナポリタンやミートソース、粉チーズ(パルミジャーノ・レッジャーノ)が、アメリカ経由で日本に来たと申し上げたが、アメリカンスタイルのPIZZAほど、世界の市場を席巻したイタリアンはないだろう。
もともとアメリカでのピザは、ジェンナーロ・ロンバルディとかいうナポリのピッツァ職人が、1895年にニューヨークで店を開いたの始まりだそうだ。あっしにとって逆に意外だったのは、本場のナポリ人がアメリカに持ち込んだことなんだが――それほど両者は違う食べ物だってことなんだがね。110年の年月を経て、すっかりピッツァはピザへと変貌してしまったというワケさ。
もっとも、それじゃあ本場のイタリアン・ピッツァには何かスタンダードがあるのかと言えば、そいつはちょっくら事情が違う。さきほど、あっしは「ナポリはピッツァ発祥の地」と申し上げたが、実はナポリはピッツァの生まれ故郷でも何でもねえ。
――おっと、こいつは嘘じゃあねえよ。何ってったって、ナポリの歴史家もそれを認めてるくらいだからな。
じゃあガイドブックが嘘八百並べているのかというと、そういうワケでもねえ。
つまりイタリアにおいて、比較的最近までピッツァとフォカッチャ(塩味の強いイタリアの平型パン)を厳密に区別しなかったんだ。ガイドブックに見られる「古代ローマ人も食したピッツァ」というのは、実はフォカッチャのことで――ピッツァはナポリで生まれたフォカッチャ(※2)の一種と見るのが本当のところだろう。
古代ローマ人が食したピッツァは、オーブンのない時代だったため、よく熱した灰の中に入れて焼いており、フォカッチェと呼ばれる、トマトもチーズも乗っていないシロモノだったんだ。だから、現在の形のピッツァがナポリで生まれたというのは、当たらずしも遠からず――くらいの感じかな。
それにしてもピッツァほど世界中に広まったファストフードはない。ある意味、ハンバーガーをしのぐシェアの大きさだと思うが、あっし個人とすると、寿司もそのくらいのビジネスに育てていきたい――なんて思うこの頃さね。
※2 フォカッチャの本場ジェノヴァでは、トマトやオリーブなど、具をトッピングをして焼いたフォカッチャをピッツァと呼ぶこともある。ちなみにフォカッチャ(foccacca)の語源は、ラテン語で炉端を意味するfocus。現代イタリア語で炉端はfocolareと言う。
ナポリピッツァは「目黒のサンマ」だった?
イタリアでピッツァを食べた人ならご存知だろうが、どの地域で食べるかによって、そのスタイルはまるで違う。たとえば、ローマ風のピッツァはカリカリに焼いたものが一般的。また、ナポリよりさらに南下するとパンツェロッティなんていうフライドピッツァがあったりと、その食べ方は一口では語れない。
その中で、ナポリのピッツァってえのはクラスト(ピッツァ台)がモチモチしているのが特徴だ。柔らかいのに餅のような歯ごたえがあり、やや塩味が強く、噛めば噛むほど深い味わいが口の中に広がっていくんだ。
これはドウ(練り生地)を十分に発酵をさせ、ドーム型の窯に薪を入れて燠火(おきび)で焼くからこそ、こういう食感に仕上がる。ピッツァってえのは窯と薪さえ使えば美味しくなるほど、簡単なものじゃねえが――窯と薪を抜きにナポリのピッツァを語ることはありえねえ。
この食べ物の誕生には、ちょいとしたナポリの歴史が関わっていて、そいつがこのモチモチっとしたピッツァを生んだのさ。なんせナポリは港町の宿命で、昔から入れかわり立ちかわり、さまざまな民族の支配を受けて来たからな~。
ピッツァのルーツ、フォカッチャの発祥は古代ローマにまで遡るが、15世紀のナポリには、すでにピッツァらしきものがあった。当時はチーズや野菜などを詰めて焼く、パイみたなもんだったそうで、すでに一般大衆に絶大な人気を集めていた。港町の荒くれ者も、この立ちながらどこでも簡単に食える、世界最初のファストフードをそこいらでほおばっていたんだ。
やがて時は18世紀と移り変わり、ナポリはブルボン王朝(※3)の支配下に置かれることになる。
下賤な食べ物だったピッツァだったが、ところがどっこい古今東西を問わず、そんな食い物は旨えモンが多い。落語「目黒のサンマ」で、大名・松平さまがサンマの塩焼きに舌鼓を打ったように、ナポリを治めていた国王フェルナンド4世も、この下品な食い物が大のお気に入りだったらしい。
なんせこの王様、ピッツァ好きが昂じたあまり、世界初のピッツァ専用窯を作らせちまったってんだから、松平さまも呆れかえるコンコンチキさね。なんでも、王宮のあったカポディモンテの丘には陶器窯がたくさんあって、それらを改造してピッツァ窯を仕立てたらしい。
現在のピッツァ窯は600度くらいの高温に達し、1~2分ほどで焼き上げるというが、なるほど、もとが陶器の窯じゃ温度が高いのもうなずけるわな。
※3 16世紀末から19世紀初頭にかけてフランスに君臨した王朝。
その後、19世紀になると、南米からやってきたトマトがナポリ人に熱狂的に迎えられるようになる。「オー・ソレ・ミオ!」とふり注ぐ太陽に、ベスビオ火山がもたらしたサン・マルツァーノの沃野が、トマト栽培にうってつけだったこともあるだろう。
濃い赤をしたプラム型のトマトは、ピッツァやパスタのソースとして、瞬く間に南イタリアに広まっていき、それがナポリピッツァの原型を作ったって寸法よ。
その原型がマリナーラとマルゲリータの2種類なんだ。
古典中の古典といえるピッツァ・マリナーラ(船員風)はその傑作で、トマトソースにオリーブオイルだけのシンプルなもの――この名はオリーブオイルもトマト、ニンニク、オレガノなどは船積みがきいてトッピングできるからだそうだ。
まあ、まさに港町ナポリならではピッツァだろうな。この上なくシンプルなので、ゴマかしがきかないピッツァの中のピッツァと言えるだろう。
もう一つのスタンダード、マルゲリータはご存知の通り、トマトソースにモッツアレラ・チーズ、バジリコとオリーブオイルの、これまたシンプルなピッツァだ。
この名前は、当時のイタリア王妃・マルゲリータに由来しているんだが・・・実はイタリア国旗と王家を巧みに利用したナポリ人のネーミングでもあるんだ。
さまざまな支配者のもとで統治されてきたナポリだったが、1859年にガリバルディのイタリア統一によって、ようやくひとつの区切りを迎える。そしてイタリア統一から40年後――国民から敬愛されていたマルゲリータ王妃が、国王ウンベルトとともに、ピッツァ窯の発祥地・カポディモンテに滞在していた時のこと――。
ラファエッレ・エスポジトと名乗るピッツァ職人が、「トマト、モッツァレラ、バジリコ」。すなわち「赤、白、緑」という、イタリアの三色旗をトッピングした試作品をお出しした。マルゲリータがこのピッツァをいたくお気に召したことから、このシンプルなピッツァに王妃の名が冠されたってわけだ。
実はこの試作品、エスポジトの創作でも何でもなかったんだが、そいつを堂々と王妃の前にお出しして、国旗で心をくすぐるお手並み――さらには、プリンセスの名前を勝手に使って、王家ですらダシするあたりは、まさにナポリ人の真骨頂というべきだろう。さすがに2700年もの間、歴史の荒波に揉まれてきた連中のしたたかさと言うべきだろうな~。
エスポジトの店が、未だにナポリにあるかはわからねえが、ナポリに行った際は、ぜひ本場のピッツァを食べほしいもんだ。スパッカ・ナポリの周辺にはダ・マッテオとか、ダ・ミケーレなんて名店があって、それこそ滅多に食えないような旨いピッツァを出す。
常に行列していて整理券を配っているが、値段も安いし一度は食べてほしいもんだ。
ナポリには「真のナポリピッツァ協会」があり、厳しい審査をくぐり抜いて認定された店が何軒もある。ここに認められた店は世界でも全部で200軒ほどしかなく、日本では10軒ほど。あっしはそのうち東京のパルテノペ(恵比寿、広尾)とアル・ソリト・ポスト(外苑前)には行ったことがあるが、ここのモチモチピッツァはオススメだ。
ナポリまで都合がつかねえ方は、ぜひ一度、本場のピッツァとやらを食べておくんなせえ。あっしもこれから、どちらかの店でピッツァをビールと赤ワインで流し込みに行くからよ!
じゃあ、お客さん。次回をお楽しみに!
マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!
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