マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 15
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本日は1週間ぶりに「医食同源・マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!」のUPをいたします。
2005年の掲載ですから丁度10年前になりますが、丁度その前の年にインドネシアで大地震と大津波が発生した年だったのですね。
この時は当然ながら、2011年の震災も起きておらず、うちの祖母が言っていた「一寸先は闇」という言葉を思い出してしまう次第です。
UPされている写真データの小ささにいつもながらびっくりです。
とはいえ、それ以前のものは写真も掲載されてなかったのですから、意外に世の中目まぐるしく変わっているもの。
とはいえ、イタリア料理に関する情報は古くなっていない模様。
本日もお楽しみいただければ嬉しいです!
マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 15
アナゴのエサになったローマの奴隷
掲載日:2005年1月19日
まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!
みなさま、明けましておめでとうござい・・・って言いたいとこだが、昨年末に起きたインド洋大津波の被害が、時間が経つにつれ想像を絶する規模だってことがわかってきた。最初はのんびり報道していたテレビや新聞も、ここにきてようやく本腰を上げて来た感じだ。
被災された方々のご無事とお悔やみを、心よりお祈りいたしやす。
被災地のインドネシアやタイには、あっしが取り引きしているエビの養殖所があって――知り合いの安全だけは確認できたけど、そうそう素直に喜べないってえのが実感さ。まったく、現地で働いている人の不自由を考えると胸が痛くなるばかりだ。
ところでお客さんがたに申し上げるが、こと水産に関して言えば、テレビや新聞の情報と分析は、不確かなソースを鵜呑みにしているものが多いようで――そのことを、老婆心ながら申し上げておこう。
あっしの立場からは、あんまし相場に影響する発言はできないが、ともかくもニュースだけの情報に頼っていちゃいけねえよ。もちろん常識的に考えると、今年のエビは上昇傾向にはあると思うがね。
ともかくも、このイダテンのゲンさんは、あくまでお客さまがたの味方だ。エビの原価が上がったなら上がったなり――下がったなら下がったなりに、お客さまが要求する以上のクオリティで商品を提供していきやすぜ。なんせ値段も味のうちだからな!
てなワケで、どうぞ本年もご贔屓に――何卒お頼み申し上げやす!
質素を旨としたローマ人
さて、今回のマンマミーア・イタリアン。前回はローマ料理って切り口でお話をしたが――今回は同じローマでも、古代ローマの食ってヤツを取り上げみよう。
昔の中国では、そいつがいかに大勢の人間を食わせらるかが、英雄の基準だった。
また、「すべての戦争の原因はエネルギーと宗教に集約される」(昔から言われていることだが、なぜか学校では教えないことだな)ってえのも、同じ話さね。ま、食料問題もエネルギーのうちと考えられるわけだが、人類存続&種の存続というのは、ひとえに食い物にかかっていると言っても過言ではないだろう。
それにしても最盛期にはヨーロッパ全土のみならず、北アフリカからトルコ、中東地方まで平らげていたローマ帝国――その胃袋を、どんなもので満たしていたんだろう?
そんなことを、あっしが素人の手すさびで調べたお話がある――ちょっくら聞いておくんなせえ!
今までに何度かお話したが、ローマ帝国の食卓にはトマトがなかった(※1)・・・なんてえ具合に、いくつかの「有名な意外」がある。
もともとローマ人は農耕民族だったことは、前も紹介した通りだが、黎明期のローマ人は意外に質素な食事をしていたんだ。満腹になると、羽毛をのどに押し込んで、吐いてはまた食べるローマの饗宴は、最盛期を過ぎてからの話なのさ。国家の礎を築いた先人たちは、ローマを護るために質実剛健な暮らしをしていたというのが、本当のトコなんだ。
紀元前753年を建国とするローマだが――もともと、平地に7つの丘があったローマの地は、防衛上は決して有利な地勢じゃなかった。だからこそ、ローマが築いた道が外の世界に向かい、大帝国となったわけだが、それは結果としての話。そこまで辿り着くには、エトルリア人やギリシャ人、ガリア人、サビーニ人など、近隣の民族との小競り合いに勝たなければいけなかったのさ。
何でも紀元前4世紀くらいまで、ローマの一般市民ってえのは、丘の上に掘立小屋を建てて暮らしており、水で溶いた大麦粉の粥とか、ニンニクやタマネギくらいしか食べられなかったという。戦に出れば、さすがに少しは良いものが食べられたそうだが――それでも、火を入れた小麦の粥に干し肉でもあればマシな方だった。
もともとローマ人は粘り強く、質実剛健、堅忍不抜(けんにんふばつ)を旨としていたそうで――今の日本でもそうだが、豊かになると堕落するというのは、人の世の常かもしれねえなあ。
※1 トマトはもともと南米原産で、17世紀頃の大航海時代に観賞用としてヨーロッパに持ち込まれたもの。当然、ローマ時代には影も形もない。
アナゴのエサになったローマの奴隷
紀元前202年――ローマの若き闘将スキピオが宿敵カルタゴの名将ハンニバルを破り(※2)、その後東方諸国を制服すると、さすがのローマ人も贅沢の味を覚えてきた。むしろ何100年にもわたって、水溶きの大麦粥で我慢していたウップンが、一気に弾けたのかもしれない。
もとより豊かな土地と風土恵まれたイタリア半島に加え、ローマ人の持つ勤勉さと忍耐、努力が実を結び、農業生産力は著しく向上した。
すでに紀元前1世紀頃にはパン屋という商売が登場していたし、生活の糧であった小麦や大麦以外に、より収益の高いブドウやオリーブの栽培をはじめる農家も出てきたんだ。
そして植民地から運ばれてくる富と、遠方からやってきた珍しい食材は、たちまちローマ人の欲望を目覚めさせた。2000年前の美食家アキピウスが残した、古代ローマのレシピをひもといてみると、その食材の豊富さには驚かんばかりだ。
クジャクやフラミンゴ、ツルやガチョウ、ダチョウ、ツルやインコといった珍しい鳥たち。
はるばるペルシャやダマスカスから運ばれてきたサクランボやアンズ、桃、マルメロの木などは、そのまま食べるだけでなく、甘味料としても使用された。
また牡蠣の養殖や、ローマ人の好物・オオヤマネ(※3 )の飼育で大儲けする貴族が出てきたり、チーズやソーセージ、生ハム作りなどもこの時代からはじまったってえんだから、今の時代顔負けのバラエティだ。
いかにもローマ人らしいのは、ヘリオガバルスとかいう美食家の皇帝で――この人は、当時最高の美味とされていた、アナゴやウナギを捕獲する漁船団を持っていた。そして捕らえたアナゴを太らせるために、コロセウムの闘技で殺された奴隷のキリスト教徒をちぎっては、エサにしていたってえんだから、いやはや何とも、おそれ入谷の鬼子母神ってなもんさね。
アナゴが悪食で凶暴なのは有名だが、そんなアナゴがどんな味だったのか・・・いくらあっしでも、食べてみてえとは思わねえけどな~。
※2 カルタゴは現在の北アフリカ・チュニジア周辺。紀元前264~146年にかけて、ローマは宿敵カルタゴと3回にわたって、ポエニ戦争と呼ばれる戦いを繰り返す。紀元前146にローマの遠征軍がカルタゴを壊滅させ、120年にわたる戦争に終止符を打った。「ポエニ」とはローマでのカルタゴの呼び名。
※3 リスとネズミを合わせたような、げっ歯類の動物。前回を参照。
伊勢エビはローマ時代も高級食材!
ローマ時代の調味料として有名だったのは、何といっても魚醤ガルム(※4)だが、ローマ人ってえのは、今のイタリア人以上にサカナ好きだったそうさね。
当時は、今のような冷蔵技術が望めるはずもなかったが、それでも海の近くには新鮮な魚介類が入手できただろう。
有名なアントニーとクレオパトラの晩餐会では、ムール貝や伊勢エビ、イソギンチャク、ヤツメウナギ・・・そしてイルカの肉などがさまざまなソースに漬け込まれて出されたという。
また美食家のアキピウスは、巨大伊勢エビの噂を聞きつけ、嵐の中を帆船で北アフリカまで出かけていったエピソードまで残している。実際にその伊勢エビを手にすると、陸にも上がらずローマに引き返した、なんて・・・まあホントかウソかはわからないが、ともかくもローマ人ってヤツは今の日本人以上のサカナ好きだったことだけは確かなようだ。
それにしても、今も昔も伊勢エビは高級食材だったことは、変わりなかったんだな~。あっしはちょっくら嬉しいトコさね。
基本的な食べ方は基本的に茹でたり網焼きにしたりと、これも今とそれほど変わらないが、松の実や胡椒、クミンやコリアンダー、ハチミツ・・・そしてガルムで味を整えたソースを使うなど、味付けに関してはずいぶん今と嗜好が違っていたようだ。
※4 ガルムはローマ時代の万能調味料で、しょっつるやナンプラー、ニョクマムなどと同じ魚醤。瓶にアンチョビー(イワシ)と塩を交互に重ねて発酵させ、天日にさらした上澄み液を使ったというが、詳細は不明。古代ローマ人は、日本人が醤油や味噌を使うように、何にでもガルムを使った。
ローマ人はハチミツがお好き
食というのは、時代によって嗜好が変わる。
新鮮な伊勢エビのような海の幸なら、シンプルな調理法がいちばんだろうが、保存方法が限られていた時代は、すべてそういうワケにもいかなかった。
そこで塩やスパイス、ハチミツなどを使って「持ち」を良くするため、味はどうしても濃い目の、塩辛いか甘い味つけになったことが考えられる。
だからこそローマ時代に好まれていた、もうひとつの調味料はハチミツで――肉でも魚でもハチミツは使われていたんだな。当時、サトウキビがとれるインドは遠過ぎたため、甘みはもっぱらハチミツか果物の煮汁だったという事情がある。
肉などはハチミツに漬けておくと1年くらい保存できるというが、現在でも北京ダックなどの中華では、肉にハチミツが塗られることが多い。これは肉を柔らかく、味をまろやかにする下ごしらえとして、なかなか有効な方法なのさ。それに取り過ぎなければハチミツほど体に良いものはないからなあ。
ローマ時代の医食同源
ローマ時代は直接肉を火にかける「焙り焼き」は野蛮なもので、「茹でる」というレシピが進歩的なものとされていたらしい。血のしたたるようなステーキは蛮族の食べるものだったんだ。ローストをする場合は、あらかじめ茹でて血の気を抜いた肉を焼いていたらしい。
あらかじめ茹でたりしたら、肉の旨味が逃げてしまうというのが、今の考え方だが――おそらく当時は食材になる肉に臭みがあったんだろう。今だってローストして旨いのは、モトが良い肉の場合で――アクや臭み、塩気などは、一度茹でた方が良かったんだ。
茹でる時の水は、雨水を貯めたものが良いとされた。当時の医学では、雨水は体に良いとされ、ガルムやワインを薄める時でも、雨水が使われていたようだ。
中華料理の東坡肉(トンポーロー)は、豚のバラ肉をいったん茹でて臭みを抜き、醤油をしみ込みやすくさせているが――もしかすると、よく似た考え方なのかもしれない。
一度茹でた鶏や子豚に、オリーブだのナツメヤシ、松の実、ポロネギ。場合によっては塩ウニなんぞを詰め物にして宴会料理に用いていたという記述もある。
茹でた肉にハチミツをたっぷり塗って、ガルムとスパイス、ハーブのソースで味付け。そんな食べ方が古代ローマ料理では好まれていたのだろう。クミンは下痢止め、ハーブ類は整腸作用や食欲増進などと、そういったスパイス類は婦人病や解毒の薬として、今で言う薬膳の働きをはたしていたそうだ。まあローマ時代の医食同源ってことだったワケだな。
まあ、食い過ぎて糖尿や高血圧で死んだローマ人も多かったろうから、本末転倒の感じがしないでもないけどな。
さーて、時間が来やがった。
それじゃ、お客さん! 次回をお楽しみに!
マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!
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