エリーちゃんと優子さん〜医食同源(つづき)

かれーな印度カレーを召し上かれー4
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今日の朝のマッサンで、エリーちゃんと優子さんのツーショットが出てきましたが、美女お二人は対照的なお顔立ちです。

ドラマのセリフでも「見事に異人さんじゃのう」というエリーちゃんを見てる時は、脳が油彩モードになり、平たい優子さんを見てる時は脳が線画モードになりました。

やっぱり西洋人を表現する時は立体的になるし、日本人を表現する時は平面的になりますわな(笑)。

というわけで(何がやねん)、本日も医食同源「かれーな印度カレーを召し上かれー・その4」をUPいたします!

かれーな印度カレーを召し上かれー・4
カレーは肉食解禁からはじまった! 

掲載日:2005年9月28日

まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!

いやあ、総選挙の結果が出てからというもの、世の中あわただしい限りだったなあ。まったく自民があそこまで圧勝するたあ、この白髪アタマにも想像がつかなかったよ(2005年9月28日当時)。

ところで、今回の選挙がどうだったかという話は置いといて、あっしらの商売は選挙の前後から今の今まで、仕出し弁当から宴会、晩餐会のメニューとやらで、大童の状態が続いている。選挙に金がかかり過ぎるのは問題だろうが、関係する人たちに飯を食わすだけで、大変な騒ぎになるわけで・・・それもちょっくら頷ける次第さね。

何はともあれ、これからの世の中が良くなってほしいと願うほかはねえ。

ところで、みなさまのところにスイサンドンヤ・ドットコムさんの価格表と「超強力! 仕入れおたすけ情報」は届いたかな?

2週替わりの特売セールやポイントサービス、送料無量キャンペーンなど、毎日が特売状態という、出血大サービスの企画が目白押しだ。人気のエビやマグロ、ホタテなんてえのは、特にお買い得だよ!

ともかくも、こういったお客さまがたに嬉しいキャンペーンは、今まで以上にこまめにするつもりだ。食欲の秋に向けて、みなさまのご注文――心よりお待ちいたしやすぜ!

カレーは肉食解禁からはじまった! 

「かれーな印度カレーを召し上かれー」も、早や4回目。今回は明治から昭和にかけて、どうやって日本にカレーが定着していったかをお話ししよう。

なに? ゲンさん・・・印度カレーと銘打っておきながら、イギリスと日本の間をウロウロしてて、いったい何時になったらインドカレーの話になるんだって?

写真はインドだけど、中身は日本のカレーじゃないかって?

へっへっへ。いいから、まあ、もう少しお待ちよ。

モノには順序ってものがあるんだ。あっしもエビの買い付けがてら、この後、ちょっくらインド詣でに行く予定だ。お客さまがたには、イヤというほどスパイスのきいたお話をご馳走するんで、どうか楽しみにしておくんなせえ。

さて、以前にも話したことがあるが、日本人の食生活は明治維新と戦後を境に、劇的な変化を遂げたわけだが、カレーはその中でも大きな役割をはたしてきた。

前回、文献による日本最古のカレーが、食用ガエルを使ったもので、そいつが明治5年だという話をしたが・・・実は、この明治5年というのは、日本の食生活を語る上で大きな分岐点になった年なんだ。

何って、お客さん。わかるだろう、肉食の解禁さ。

日本人は仏教の影響で、長い間、一般的に肉を食らう習慣がなかったから、肉食解禁はいわば食の革命だったわけさ。

飛鳥時代の天武4年(675)、天武天皇が殺生禁断令の勅命を発せられて以降、明治5年まで、こいつは厳然として生きていた。肉食解禁のたった3年前の明治2年には、牛一頭殺して食べた罪で、10人が島流しになったという記録まで残っている。

もっともその一方で、肉食解禁になる以前――幕末の安政頃から、大阪では牛鍋屋が店を開いてたってえんだから、どうにも日本人ってえのは、その辺は実にいい加減にできていたもんさね(まあ、いい加減は、もともと仏教用語で「丁度好い加減」を意味する言葉だそうだから、それで良いのかもしれねえけどな~)。

インドのベジタリアンと平安貴族は兄弟だった?

 殺生を禁ずるというのは、ブッダの時代からあったインドにあった教えだが――それは、もともと仏教の母体になったバラモン教 ※1 に見られるものだ(もっとも、まともな宗教に殺生を奨励するものはないけどな)。

インド人にベジタリアンが多いのも、殺生を禁じるという宗教的な理由によるものだ。

バラモン教がヒンドゥー教に変化した現在でも、それは同じことだし、枝分かれした仏教の兄弟分・ジャイナ教に至っては、畑仕事は鍬(すき)で虫を殺しちまうってんで、農業もできないというから、徹底してらあな。

日本人に比べ、比較にならないほど生活と宗教が密着しているインド人にとって、食の禁忌は厳格なものだ。ベジタリアンでなくとも、牛を神聖視するヒンドゥー教徒は、まずビーフを食べないし、豚を不浄と見なすイスラム教徒にとってポークはご法度だ。

当然、食べる肉も鶏か羊に限られるし、さらに厳格なベジタリアンは魚も卵も口にしない。インドで野菜カレーが充実しているのは、そのためなのさ(究極のインドカレーってえのはベジタブルカレーにあり、とあっしは思っている)。

ところが、一方で日本式カレーの場合、肉とカレーとは切っても切り離せない。

インドのベジタリアンと、平安貴族など昔の日本における肉食禁忌は、同じルーツにぶち当たるのに、ことカレーにおいて肉の扱いが正反対なのは面白い話だ。これはひとえに、宗教のに厳格なインド人と、宗教に淡白な日本人との違いが顕われたものと言えるだろう。

※1/ バラモン教は現在インドの人口の8割を占める、ヒンドゥー教の母体。どう違うかは、ややこしいので、呼び方の違いと考えていただきたい。

やっぱり肉はリキがつくぜ! 

 さて、肉食の禁忌と言っても、日本人お得意の建前ってヤツで、昔の人も実はこっそりお肉を食べていた。特に鎌倉から江戸にかけての支配層は、自分たちだけ肉を食べ、庶民には禁じていたという話だ。

まあ、それもそのはず――やっぱり肉はリキがつくからね~。

支配層にとっては、庶民に肉を食わせて力をつけられたら厄介ってえのが本音らしく――その証拠か、地獄に落ちるのを畏れて肉を食べなかった平安貴族が、やがて武士に政権をとられていったのは、食生活によるものが大きかったという説もある。また牛馬は軍用、交通用、農耕用と、当時の重要な動力だったことも、肉食禁忌の現実的な理由だったろう。

平安以降、政権をとられてからは、貴族も薬猟と称して狩りを楽しんでいるし、江戸以降の大名や将軍でも、牛肉を好んで食べていた記録が数多く残っている。

近江牛ブランドは、もともと彦根井伊家が将軍家に献上するために飼育していた牛がはじまりと言われているし、あの水戸黄門こと徳川光圀公も、大の牛肉党だったことで知られている(黄門さまは、ラーメンを最初に食べただけじゃなかったんだな~)。

また徳川慶喜公は大の豚肉党で、初めに嗣いだ一橋家の文字をとって「豚一」と揶揄されたこともあるくらいだ。やっぱり肉は旨いもんな。

陰でこっそり食べていたこともあってか、一旦、肉食が解禁になった途端、肉を食わぬ奴は遅れているとまで言われるようになった。この辺の変わり身の早さが、まさに日本人の真骨頂といえるだろうな~。

牛肉食わぬは開花不進奴(ひらけぬやつ)? 

肉を食わぬ奴は遅れている――そう最初に言ったのは、仮名垣魯文(かながきろぶん)という、この時代の戯作者・新聞記者だ。

この幕末から明治にかけて、一気に西洋化の波が押しよせてきた時代――巷では牛鍋屋が流行りはじめていた。牛鍋というのは、もちろん今のすき焼きの原型だ。

魯文は明治4年、この牛鍋店に集まる客たちが雑談しているありさまを、具体的に面白おかしくつづった滑稽本「牛店雑談 安愚楽鍋」(うしやぞうだん・あぐらなべ)というベストセラーを出している。

その中にある「牛肉食わねば開化不進奴」という記述が、当時の食生活に大きな影響を与えたらしい。この時代から新聞記者ってえのは、世論に火をつけるのがお得意だったようだが、魯文さんの思惑はまんまと当たり、牛鍋と共に肉食の習慣は、あっという間に世に広まっていったという寸法よ。

ちなみに当時、書生だった福沢諭吉も牛鍋を好んで食していた。大阪で牛肉が好まれるのは、この頃から始まったのかもしれないな。

カレーを食べて大きくなろう! 

仮名垣魯文は「西洋料理通」という別の著書で、肉入りカレーのレシピも記している。こいつは当時横浜にいたイギリス人が、メイドに料理を作らせるためのノートを基にしたもので、今見てもなかなか新鮮な感じがする。

それは牛肉と鶏肉、長葱とリンゴ、そしてカレー粉に小麦粉を用い、仕上げに柚子を絞り込むというもので――同じ時期に作られたフロッグカレーがブイヤベースだとすると、魯文のビーフカレーは、フレンチ風洋食といった風合いのレシピになっている。

ところで、この時代に肉食を解禁して押し進めたのは、やはり明治政府の持つ富国強兵の考え方が根底にあったんだと思う。

周知のように、江戸時代の日本人は食生活のせいか、男性でも平均身長が155~158cmそこそこと大変小さかった。それが黒船の来襲と共に、赤鬼みたいにでっかい異人さんたちの姿を見た時は、さぞ驚いたはずだ。

当時の日本よりずっと進んだ文明を持ち、体格面でもはるかに日本人を凌駕する西洋人を見て、こいつらが何を食べて大きくなったのか、当時の人たちは真剣に考えたはずだ。

なんせ、明治4年には、平安の古より肉食禁忌の元締めだった天皇家をかつぎ出し、宮中において肉食禁止令を解いているんだ。それは国を上げてのスローガンだと言っても過言ではないと思う。

同じ年に流行った「牛肉食わぬは開花不進奴」なんてコピーライトは、当時の国策として作られた――なんて考えるのは穿(うが)ち過ぎだろうけど、きっと世の風潮にそんな雰囲気があったんだろうよ。

 

アレンジ好きの日本人 

 カレーが海軍の食事として、大いに重宝された話は前回も話したが、兵役を終えて帰郷した兵士たちが、船の上で覚えた味を地元に広めていった。

栄養満点で大勢の人数を賄える上、作り置きのできるカレーは軍隊だけでなく、農家の食事としても最適だったんだ。熊本では馬肉カレーなんてものがあるそうだし、福島ではホッキ貝のカレーなんてご当地カレーもあるそうだ。

テレビもラジオもなかった時代、カレーが全国区になっていったのは、そんな理由もあるのだろう。

寿司でも天ぷらでもモトは外来の食べ物だが、およそ世界の中で日本人ほどアレンジ好きで、それに長けた国民もない。カレーはその代表格と言って良いだろう。なんせ明治以降の新参もののくせに、日本人の食卓でデカい顔をして鎮座ましましているんだからな~。

アレンジされたカレーには、上野精養軒のカレー。中村屋のカレー。ヱスビーのカレー粉。給食のカレーシチュー。学食のカレー。カレー南蛮。カレーパン。カツカレー。市販のレトルトカレー&カレールー。福神漬け、ラッキョウなど、枚挙にいとまない種類のカレーや副産物が生まれていった。

さーて、時間がきやがった。こいつら日本でアレンジされたカレーについては、もう少し後の機会にお聞かせするして・・・次回はいよいよインドカレーとスパイスの秘密に迫ることにしよう。

それじゃ、お客さん。次回をお楽しみに!

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エリーちゃんと優子さん〜医食同源(つづき)” への2件のコメント

  1. まだまだ、これから煮込む次第ですね。
    あー、だんだん匂いが立ってくるぅ。

  2. お頭さん、おはようございます!

    ネタのない時にUPと思ってましたが、
    これが意外に手間がかかる(笑)。

    とはいえ、埋もれた原稿をUPする良い機会です。
    ウガンダともご期待ください・・・
    じゃない、コンゴともご期待くださいませ・・・なんて、ウフッ♪ 

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