マッサン〜大正初期に“肉じゃが”はあったの?

赤坂なかむら食堂の岩手産の生ガキ。鯖の味噌煮、ハムカツなど、何を食べても馬いです!

かれーな印度カレーを召し上かれー3
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完全にNHKの謀略にハマり、マッサンも毎日見てるわたくしですが、今朝方作家の北大路公子先生から、”そもそも、あの時代に肉じゃがはあったの?”というツイがまわってきました。

で、早速wikiで見たら、はたしてその通りで・・・

肉じゃがの起源はカレーと同じ明治のはじめという説あり(あくまで説)。言葉が広まったのは1970年以降だそうです(今日はダジャレ抜き)♪。

私の子どもの時分にも肉じゃがはついぞ食べた記憶がありません。「男子の一番好きな食べ物は肉じゃが」というCMも、”そんなワケねーだろ”って、愕然として見た記憶がありました。

肉じゃがの起源はカレーと同じというのは、私の中では常識だったのですが、よく考えて思い出したら、以前に水産会社のネット記事を書いていた時に「肉じゃが」の記事を書いたことがあったのです(笑)。
いかん、いかん。すっかり忘れておったわい(汗)。

記事を見つけたので、以下、それを掲載いたします。ご参考いただければ幸いです。
私の本名でなく、築地勤続30年イダテンのゲンさんこと長谷川玄太というペンネームで書いているので、ご了承のホドを♪

記事はそこそこ長いので、肉じゃがだけ興味ある方は、おしまいの方だけお読みくださいまし。

かれーな印度カレーを召し上かれー♪・3
七つの海を渡った日本のカレーライス

掲載日:2005年9月14日

カレーが生み出した東インド会社 

まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!

先にも申し上げたように、日本のカレーライス直接インドから来たのではなく、イギリス経由でやってきたものだが、それはどうやって姿を変えて渡っていったのだろう。

大航海時代――ポルトガル人は胡椒のみならず、クローブやナツメグなど、さまざまなスパイスの利権を握っており、最盛期にはスパイス交易の流通70%を牛耳っていた。だが、欲深い当時のポルトガル人は、さらに首都リスボンにインド庁という役所を設け、胡椒の価格を吊りに吊り上げたのさ。

ところが、それがイギリスやオランダ商人の欲望にも火をつけ、インド進出に食指を動かした。それが17世紀初頭、東インド会社(※1)の設立につながったわけさね。 ご存じのように、東インド会社はスパイスなどの輸入を目的にしていたが、利権拡大のために、植民地経営に従事していたのは有名な話だ。

このイギリス人という連中――あれだけアジアやアフリカの国々を植民地にし、さんざん搾取をしておきながら、呆れ返ったことに、新しい食文化をほとんど生み出さなかった。

あの国を旅行した人なら誰もがご存じだろうが、英国料理と呼べる旨い料理が、まず見あたらない。あるのはフィッシュ&チップスと呼ばれる、白身魚とポテトのフライくらいのもの。そんなイギリス人が生み出した、数少ない食の発明がカレー粉だったわけさ。

女王陛下は勝利の香りがお好き 

それというのも、インドカレーのスパイス調合は、なかなか複雑だ。

コリアンダー、チリ、ターメリック、クミン。それにペッパー、カルダモン、クローブ、シナモンといったスパイスを巧みに組み合わせ、旨いカレーを作るのは、普段から大味なものしか食べてない一般のイギリス人にとって大変難しかった。また植民地時代、料理はすべてインド人のメイドにさせていただろうから、その必要もなかったワケだ。

だが、そこは味音痴でも合理的なイギリス人。はじめから複雑なスパイスの調合をするようなことはせず、出来上がってるミックス・スパイスを考案したんだ。最初の段階でスパイスを混ぜ合わせると、どうしてもフレーバー感は失われるが、彼らにとっちゃ、そんなこと大したことじゃない。そんなより簡単にカレーが作れることの方が先決だったってわけだ。

最初に現在のカレー粉に近いミックス・スパイスを考案したのは、ウォーレン・ヘイスティングズという、東インドはベンガル地方の総督だったそうだ。総督閣下はインド人に何10種類ものスパイスをブレンドさせ、イギリス本国に帰った時にすぐ食べられるように仕立てさせたのさ。

本国に帰ってから、総督閣下のミックス・スパイスに目をつけた者がいた。それが一介の仕出し弁当屋に過ぎなかったエドモンド・クロスとトーマス・ブラックエルだ。二人はクロス&ブラックウェル社――すなわち現在のC&B社を設立し、総督のミックス・スパイスに改良を加え、現在のカレー粉の原型を作ったんだな。それが世界初のカレー粉「C&Bカレーパウダー」で、コイツがイギリス本国で爆発的にヒットしたのさ。

どうやら18世紀の当時、イギリス人にとってスパイスの香りはヨーロッパ列強の植民地競争における、勝利の香りに感じたようだ。カレーはかのビクトリア女王にも献上され、陛下もその勝利のフレーバーを喜び大いに楽しんだという。

やがて英国王室いっぱいに広がったカレーの香りは、イギリス一般家庭にも広まり、ローストビーフの余り肉で作ったカレーが食べらるようになった(牛肉は安く入手できた)。

当時は大量に買ってきた牛肉の塊をローストビーフにして、そいつをおよそ1週間かけて食べるんだが、さすがのイギリス人も同じものばかりでは飽きてしまったのか。それとも冷蔵技術のなかった時代だから、どこかで火を入れないといけなかったのかもしれない。

そんなワケで、当時のイギリス人は週に1度はビーフカレーを食べていた。これが日本のカレーライスの原型さね。

フロッグカレーのお味はいかに?

さて、そのカレーライスが日本にどう伝わったのかという話だが――実は明治時代、イギリスからカレーがどう渡ってきたのかは、ハッキリとわかっていない。文献による日本最古のカレーは、明治5年だそうで、それは何とフロッグカレー・・・つまり食用のアカガエルを用いたカレーだったそうだ。

もっともアカガエルと聞いても、玄人のみなさまがたは、そんなに驚かないかもしれないな。カエルはイタリアでもヴェネチアあたりでは、わりと一般的な食材だし――フランス料理、あるいは中華料理で食されるのは、比較的知られた話だからな~。

もちろんフロッグカレーなんてメニューは、本場インドにもイギリスにも見当たらない。

おそらくは、カエルを食べる習慣のある中国人かフランス人のいずれかが、フロッグカレーを考案し、調理したのだろうと言われている。

たしかに、日本に寄港したイギリス人が香港経由でやってきたのは、自然なことだし、その時に中国、それも広東人のコックを雇ったとしても、何ら不思議はない。フランス人が、どう調理に関わったかは不明だがね。

余談ながら、昔から仲違いを繰り返している英仏の間では、フランス人がイギリス人を「ローストビーフ」と呼び、イギリス人はフランス人を「フロッグ」と呼んだ経緯がある(まったく、そんな連中に『鯨を食うな』なんて言われたくないやね~)。

これはもちろん、どちらも食い物にひっかけた蔑称だ。

「ローストビーフ」には、旨いものと言えばそれしか知らない味覚音痴、という意味があり、一方「フロッグ」には、カエル食いのワインがぶ飲み野郎、という意味が込められている。まあ、どちらの呼び名も連中の体つきや顔つきに、近いものがあるのがある。まあ双方痛み分けってヤツかな~。

フロッグカレーの材料を見ると、タマネギの替りに西洋ネギのリーキを使い、ショウガやニンニクと一緒にバターで炒める。水を加えたのち、カエル、カキ、エビ、タイなどの魚介類を入れ、カレー粉を加えて、塩で味を整えてから、最後に水溶き小麦粉を加えるんだ。正確にはフロッグカレーじゃなく、フロッグ&シーフードカレー・・いや西洋料理のブイヤベースに近い感じだ。

当時としては、まさにもっともハイカラは洋食メニューだったワケさね。

 

三種の神器と海軍カレー

注目したいのは、ここにはカレー三種の神器であるタマネギ・ニンジン・ジャガイモが、影も形もない。それもそのはずで、この野菜が食べられるようになったのは、意外に最近の話で、明治維新以降のことだからだ。

はじめはブイヤベースのようなスープ状だったカレーは、明治後期から大正時代になるにつれ、次第に現在の形に近い、粘り気のあるシチューの姿に変わってきた。現在の洋食の形が整ってきたのさ。ただ当時、洋食といえば高級でハイカラなもので、一般市民がおいそれと口にできるようなものではなかった。

そんなカレーライスが、市民の間にも普及するようになったきっかけは、海軍で採用されたのがきっかけと言われている。こいつは最近、巷でも話題になっていて、横須賀や呉、舞鶴あたりじゃ「海軍カレー」として町興しの材料にしようとしているが――何と言っても、カレーってえのは肉も野菜も米もそろった、きわめて栄養バランスの良い食べ物なんだ。

特にタマネギ・ニンジン・ジャガイモという、三種の神器が揃ったカレーは、医食同源の要素として欠かせないタンパク質、脂質、糖質、ビタミン、ミネラル、食物繊維という6大栄養素を、ほぼ兼ね備えた完全食品だ。

しかも一度に大人数をまかなえ、兵士たちの評判も上々。当時、脚気に悩まされていた海軍にとって、カレーは格好の料理だったんだな。

カレーと肉じゃがの不思議な関係

ところでタマネギ・ニンジン・ジャガイモに肉が加わると聞いて、みなさまがたは、他に何か料理を思い出さないかい?

そう! 世の独身男性の憧れである――究極の家庭料理「肉じゃが」と同じ材料なのさ。

こいつは、あっしの独断と偏見だが「日本式カレーライス」と「肉じゃが」ってえのは兄弟じゃねえかと思ってる。理由は簡単、どちらも材料が似てる上に、海軍のメニューとして世に普及した料理だからさ。

材料の伝来を見てもわかるように、肉じゃがってえのは意外に新しい料理で、カレーよりむしろ若いくらいだ。

京都の舞鶴海軍が発祥だという説と、広島の呉海軍が元祖だという説があり――テレビなんぞでは、どちらが本当の元祖かなんてバトル番組を面白おかしく取り上げていて(どっちだっていいけどな)、どちらも町起こしの起爆剤として期待をかけているようだ。

双方の主張に共通しているのは、肉じゃがを持ち込んだのは、あの東郷平八郎だということだ。彼らによれば、若い頃イギリスに留学していた東郷さんは、その頃に食べたビーフシチューの味が忘れられず、部下に命じて艦上食として作らせた――てえのが、肉じゃがの始まりだというのさ。

何だい、ビーフシチューと肉じゃがじゃあ、似ても似つかないじゃないか、なんて言わないどくれよ。男子厨房に入るべからずの時代、東郷さん自ら包丁をふるうはずもない。

ところが調理をするコックの誰ひとりとして、ビーフシチューを食べたこともない。

あーでもない、こーでもないと、苦心惨憺の末に出来上がったのが「肉じゃが」だったって寸法さ。そいつは、東郷さんが食べた「ビーフシチュー」とはまるで別物だったが、兵士たちにも好評――おまけに栄養バランスにすぐれた料理ができあがったというわけよ。

あっしの考えじゃ、その過程でさまざまな種類のカレーも出来上がったんだろうと思う。肉じゃがよりカレーの方がビーフシチューに似ているしな~。

 その後、兵役を終えて帰郷した兵士たちは、船の上で覚えた味を地元に広めていった。カレーは栄養満点で大勢の人数を賄える上、作り置きのできるカレーは軍隊だけでなく、農家の食事としても最適だったんだ。熊本では馬肉カレーなんてものがあるそうだし、福島ではホッキ貝のカレーなんてご当地カレーもあるそうだ。

 カレーも肉じゃがも、明治時代は兵隊さんの料理だったのが、今じゃあ究極の家庭料理ってえのは歴史のちょいとしたイタズラってわけかもしれないな~。

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マッサン〜大正初期に“肉じゃが”はあったの?” への6件のコメント

  1. 今ランチ調理ちうです。ラムのトマトカレー。
    常々西欧の皆様が、スパイスをあれほど使いこなせないことに不思議さを感じてます。そうか、食材のない土地では舌が育ちませぬね。
    ラムのトマトカレーには、実はニンジンも入れてしまっています。家庭料理としては、栄養面も動機になるんじゃないでしょうかね。
    また来ますわ。

  2. あ@花さん、おはようございます!

    自分で書いてて忘れてしまってますが、けっこう英国料理をクソミソに書いてますな(笑)。
    でも、スパイスを使いこなしてないのもホントだし、野菜が育たない土地なのもホント。日本に生まれた恩恵を感じる昨今でおます。

    あ、ラムのトマトカレー、馬そうですな。
    少し分けてくださいませ。

  3. お頭さん、おはようございます!

    >他人事とは思えなくって

    え?
    どこがでしょう????

  4. エリー、マイラヴ(グハッ 笑)、が夫マッサンを丁寧に呼ぶときは、
    アッシも心底で返事しちゃいますのぉ(恥ずかしい)。

  5. お頭さん、おはようございます!

    お頭さん、おっしゃる通りです。
    いい年をして恥を知りなさい(笑)!

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