75年目の8月15日は、コロナ禍の中で例年とは違った様相ですね。
昭和2年生まれだった父は、私が子供の時分にはよく先の大戦の話をしていましたが、たしかにどう聞いても明るい時代とは言えなかったようです。
まず食べ物がない、モノがない。
それから言論の自由はもちろんなかったわけですが、それとは別に、こんなことを言っておりました。
「それまで、普通の八百屋や肉屋だった人が、突然エラくなったような顔をして、ああだこうだと人に命令する。それが一番イヤだったな」
ううむ。
父は浅草生まれの浅草育ちだったのですが、そういえば生涯、浅草の話を私にしたことがありませんでした。おそらくは生意気だった父に、大人たちの風当たりは強かったのでしょうけれど、豹変した八百屋さんや肉屋さんは、そんな親父に強く当たっていたのかもしれません。
75年経った今も、コロナ禍の下で「マスク警察」や「自粛警察」が出て来るのは、日本人の気質がそんなに変わらないことを示しているのかもしれません。
よく父は「正義というのは、ある意味ですごく危険な思想だ」とも言ってました。
▼「いや〜ん」「オー、モーレツ!」なんて、昭和のセリフが出てきそうな江戸の風物画です。こういう日本人の国民性はええですなあ♪
もちろん正義という言葉のすべてが危険だとは、私は思いません。
ただ正義を裏返せば、あるひとつの考えが一番正しいという前提があって、はじめて成立する思想です。
極端に走れば、マスクをしてない奴に何を言っても、何をやっても良いということになる。そんな意味の正義は、たしかに危険です。
▼そんな日本人の同調圧力は、わが国民性のいちばん危うい部分かもしれませんが、一方で、そんなことバカバカしいと思う国民性も、このサントリー美術館の展示をアップしながら思った次第です。
こうした絵や工芸品を見ればわかることですが、日本人は真面目なようで、実にいい加減でだらしない面を持っています。
中国が宋や明、清だった時代の工芸品を見ると、皇帝に捧げる品は完璧なもの以外は許されなかったのに対して、日本のものは作りが甘い。
宋朝時代の青磁とおなじものを作ろうとしたのに、黄色くなってしまったから、「ま、こんなモンでええやろ」と黄瀬戸が生まれたように、良い意味でおおらかな国民性を持っています。
幕府が「贅沢はまかりならん」と言えば、裏地や鉢の中身を派手にしたりと、お上の言うことを聞くようで、聞かない気質もまた日本人です。
コロナ禍の下、お上が色々言ったり、マスク警察やら自粛警察がわいてきたりとの中、そんな気質も再確認できて、日本人も捨てたものではないなと思うこともしばしば。
こんな状況の中だからこそ、日本人のしたたかさは大事にしていきたいと思う次第です。
▼よく怠け、よく遊んでいた、昔の日本人の姿をお楽しみくださいませ♪
▼お化粧指南の図。指南はこう、“しなん”さい・・・なんて、ウフッ♪