ゲーテの「ファウスト」と手塚治虫の「ネオ・ファウスト」〜悲劇の第一部を読了しました!

読んだことのある本だったので、読む順番が逆になってしまいましたが、ゲーテの「ファウスト」悲劇の第一部を読了しました。

ゲーテの「ファウスト」はお金の話だった!?〜悲劇の第二部を読了しました

昨年末に第二部を読んだというブログを書いてから、しばらく経ちましたが、第一部も面白く一気に読了しました。
ゲーテの「ファウスト」お金の話だった云々というのは、先の記事で書きましたから、そちらを読んでいただくとしましょう。
第一部を読んで思ったのは、その後の芸術家たちに如何に大きな影響を与えたかを実感しました。

文学の世界は言うに及ばず、音楽の世界でも、文字通りグノーの「ファウスト」やリストの「ファウスト交響曲」などはもちろん、ベルリオーズの「幻想交響曲」の5楽章“ワルプルギスの夜の夢“などは、この第一部のイメージを踏襲したものでしょう。

中でも驚いたのが、手塚治虫が思った以上にゲーテの「ファウスト」の影響を受けていたことです。

さて先の記事のコピペになりますが、ファウストをご存知ない方のために、超ダイジェストで申し上げると………

この世のすべての知識を得ながら、真理を知ることができなかった老博士ファウストが、悪魔メフィストフェレスに魂を売る契約を交わし、もう一度若さを取り戻す。

若返ったファウストは、この世のあらゆる快楽と悲哀を体験して、素朴な町娘グレートヒェンとの恋に落ち、エトセトラ、etc。
最後に死して魂をメフィストに奪われる直前、かつての恋人グレートヒェンが天上での祈りを捧げ、ファウストの魂は昇天する。

15世紀頃のドイツに実在したと言われる、錬金術師ドクトル・ ファウストス博士をモデルにゲーテが書き上げた長大な戯曲と言われてる。

第一部は若さを得たファウストが、グレートヒェンと恋に落ち、子を宿しながら、彼女の母と兄を殺してしまうという、壮絶かつわかりやすい話ですが、第二部はそうではありません。(余談ながら、グレートヒェンの名は、プリズンブレイク3、4で、凄腕の女殺し屋の名前に使われてます)。

第二部は眠りから覚めたファウストが再びメフィストを従えて、ギリシャ神話からゲルマン神話の世界など、あらゆる西洋伝説にワープしていきます。
ファウストの弟子だったヴァーグナーが作った、人造人間ホムンクルスも、この中の重要なキャラクターですが、とにかく登場人物が多くて多彩です。

第一部は思ったより壮絶な話でしたが、戯曲形式で書かれていることもあって、多少は薄まっている感じがしました。一方で、手塚の「ネオ・ファウスト」はそこをビジュアルで表現しているため、かなり生々しく感じさせます。

手塚治虫の「ネオ・ファウスト」は完成を待たず未完となった作品ですが、驚いたことに絶筆となった最後の部分が、ゲーテの「ファウスト第一部」と同じ終わり方をしているのです。

それは、ファウストが魔女の祭典「ワルプルギスの夜」から帰ってくると、赤子殺しの罪で逮捕されたグレートヒェンとの別れが待っている……そんなラストです。

ゲーテ「ファウスト第一部」の最後は、生まれ変わったファウストの名前「ハインリヒ! ハインリヒ!」と、グレートヒェンが叫ぶ言葉で終わります。
一方、手塚治虫「ネオ・ファウスト」の最後の言葉も、同じ場面設定です。

「坂根さあん……坂根さあん}と、まり子(グレートヒェン役)が、生まれ変わった一ノ関教授(ファウスト役)の名前を連呼する場面で終わります。

ああ、これが天才・手塚の絶筆か!

手塚治虫はゲーテに比肩する天才だったと思いますが、死を前に本人も意識しなかった最後の言葉に何やら涙するものを感じました。
いや、手塚治虫先生。
まだまだ描きたかったろうなあ………。

やはり歴史に残ったものは一度は読む価値がある。次回は長いこと読みかけだったセルバンテスの「ドン・キホーテ」でも読んでみようかな。

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