カラヴァッジョ「法悦のマグダラのマリア」は、人を殺さないと描けない絵です!

レオナルドの「糸巻きの聖母」と同日、上野西洋美術館で開催されている「カラヴァッジョ展」に行きました。

いや〜、これは必見!
現地イタリアでも、これほどのコレクションは見られない大展覧会、未見の方はぜひ上野の足を運びましょう。

そもそもカラヴァッジョの作品は、現地イタリアで見ても様々な場所に分散されていいます。同じローマでもボルゲーゼ美術館、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂など、ひとつの美術館や教会で2〜3点一度に見られれば良い方です。

今回、この展覧会では目玉になっている「法悦のマグダラのマリア」など、カラヴァッジョの真筆が10点ほど。
あとはカラヴァジェスキと呼ばれる、カラヴァッジョの画法を模倣し継承した画家たちの作品が並べられているのですが、そちらと比べてみるのも一興です。

↑ カラヴァッジョがどんな人物だったのかは、上のマンガとトカナに寄稿した拙文をお読みいただけばわかると思いますが、掛け値なしに、絵画史上、最凶と呼んでよい無頼の画家がこの人でした。

興味深かったのが、バリオーネという”カラヴァッジョと仲が悪かったことで有名な画家”の作品があったことでしょうか。
素行が悪く、才能があり、しかも売れっ子だったカラヴァッジョは当然ながら、まわりの画家の嫉妬も激しく、しばしばケンカや決闘を起こしいたようです。

ローマでは記録に残ってるだけで、6年で10数回もの警察沙汰を起こしたそうで、バリオーネもその筆頭に上げられるそうです。

本展覧会では、その記録のレプリカが展示されていて、意外にイタリア人・・几帳面なところがあるなと言ったところ。
バリオーネは「自分の絵に嫉妬し、影でわいせつな悪口を言い、卑猥なソネット(十四行詩)を詠んで中傷した上に、自分の作品に石を投げた」ことで訴訟を起こしています。

トラブルが服を来て歩いていたようなカラヴァッジョですが、私は彼の性格上これはなかったろうと思い拙著「堪能ルーヴル」で、以下のように書きました。

カラヴァッジョは「バリオーネなどモノの数にも入らないヘボ絵描きさ」と、相手にもしていなかったそうですし、法廷の証言台で「私は聖母マリアを描くのも、花や果実を描くのも同じ能力が必要だと考えている」と述べたことも、それを証明しています。
嫉妬していたのはバリオーネの方だったのですね。

カラヴァッジョ展の前に、上野はハリマ・ケバブ&ビリヤーニでハラール料理で腹ごしらえ♪ 体力のいる展覧会の前にはピッタリです♪

ところが、ところが!
実際にカラヴァッジョがバリオーネを中傷するソネットがあるのを知って、びっくりポン(これは展覧会にはありません)。なんだ、カラヴァッジョもバリオーネを意識してたんじゃん(笑)。

しかも、バリオーネが描いた絵を見て、またまたびっくりポンポン!

バリオーネがマルタ騎士団のコスチュームをした自画像ですが、絵のスタイルも本人の顔もカラヴァッジョに似てるではありませんか!
しかもマルタ騎士団とは、カラヴァッジョが決闘で友だちを殺し、マルタ島に逃亡した際に入団した組織です。

うーん。
もしかしたら、カラヴァッジョとバリオーネは、おホモだちだったのかなあ?
仲が悪かったというのも、同性愛者どうしの痴話ゲンカとか??

絵筆を握っておらず、騎士団の堂々とした姿のバリオーネは、顔立ちもそうですが、そのケンのある表情からカラヴァッジョの激しい性格に共通したものを感じました。

さて、拙記事のタイトルに挙げた「法悦のマグダラのマリア」をご覧ください。

これは実物を見ないとわからないのですが、この深い闇に白目を開いたマグダラのマリア。これは人ひとり殺さないと描けない絵ですね。

問題行動の多かったカラヴァッジョですが、いわゆるサイコパスとか異常者などではなく、はずみで人を殺めてしまったわけですから、その悔恨は深いものがあったはず。

しかし大人しくお縄につかず、シチリアやマルタに逃亡し、法王に許しを乞うためローマに戻る帰路でマラリアにかかり、36歳という短い生涯を終えたのが、いかにもこの人らしい。

ともかくも、この展覧会。必見ですので、ぜひ一度ご覧あれ!

こちらはカラヴァッジョの肖像画です

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