みなさま、あけましておめでとうございます!
旧年中は色々お世話になりました。本年も何卒、よろしくお願いします。
新年年末と遊びも含めた雑事が多かったため、年賀状にかける労力は意外に半端でないため、勝手ながら年賀状は5日過ぎにネットつながりでない方からお出しいたします。失礼がありますことをご容赦いただければ幸いです。
年末は赤坂みすじ通りの長寿庵で年越しそばを昼にいただき、早めの神社詣で。
例年により紅白は見ずに、最近ヘビロテをしているゴールドベルク変奏曲をいくつかの演奏で聞きながら、2年越しで読んでいた山岡荘八の「徳川家康」を大晦日に読了いたしました。
司馬遼太郎のような”スリリングに読ませる”小説ではありませんが、昔は中小企業の経営者の家にワンセットあっただけあって、全26巻で1巻に数カ所は印象的な言葉があります(うちの父は、説教臭いときらいでした。司馬遼太郎が好きでした)。
あまりに長いので、どこにそんな言葉があったかすぐに思い出せないのですが(笑)、昨日読んだ中で印象的だったのが、家康公最後の言葉(と思われる)一説です。
「この世のもので、己の体も含めて自分のものは何一つない。すべてはこの世のみなのもの」
こんな意味だったでしょうか。
秀吉は家康の手を握って「秀頼を頼む」と言った一言で、関ヶ原と大阪冬の陣、夏の陣という2つの(3つ?)の戦を起こしてしまったと言うのです。
大阪の人からは反発されますが、太閤秀吉はあれほどの人物であったにも関わらず、最後は天下を己のために動かそうとした。それが結果として、大きな戦となって死なずに済む命まで奪ってしまったというのですね。
関ヶ原や大阪夏の陣のような歴史的事件とはいかぬまでも、日常には“己のため”に目がくらんで大きな落とし穴を掘ることは少なくありません。
昨年、私はあと一歩で、気づかぬうちにはまりそうになったし(非公開です)、ほかでも、人を利用しようとして落とし穴にはまった人たちを何人か見てきました。
策士、策に溺れるとでも言いましょうか。
この世は人智では測り得ぬ、不思議な力があると感じた昨年末。
今年は人も自分も楽しく過ごせる年になれば良いと思います。