自由が丘で俎板とキッチンマット〜綱島時代の俎板菩薩を思い出しました

比較的暖かく晴天の日曜日、家内と自由が丘に雑貨を求めに行きました。
自由が丘は浪人時代から予備校に通いはじめてから、40年余り(笑)。
大学院があった上野毛からも近く、その後、13年半住んだ綱島からも直通ということで、何度となく通ったところではありますが、雑貨屋はほとんどスルーだったため、新鮮でした。

また、断続的に40年も通い続けているのに、自由が丘デパートやひかり街はほとんど行ったことがなかったのに気づきました。いや、なかなかディープだわ!

お目当のキッチンマットや俎板をゲットしたあとは、昔、東横美術研究所と呼ばれた予備校のあったところに行ってみました。

おやおや、魚菜学院はまだ健在だな。
奥沢に近いところは住宅地で、正月に行った池上本門寺のあたりと様子が似ています。
新築は増えているものの、町の雰囲気は前のままでした。

かつて東横美術(東横線とは何の関係もありません) と呼ばれた建物は、居抜きで楽天スーパーイングリッシュという英会話学校になっていました。

でも周りの雰囲気はほぼ一緒。

今思えば、浪人生活は誰でも経験するようなことでしたが、経験のない若者にとっては初めて遭遇する人生の関門です。それなりに色々とあったよな(笑)。

その後、東横線沿線の綱島に行きがかり上住むようになり、結局13年半暮らしていたのですが、今思うと、浪人生活より綱島時代の方が大変だったなあ……なんて家内に話をしながら帰路につきました。

家について新しく購入した俎板を出してみたところ、先の展覧会で買い手がついた俎板菩薩のことを思い出しました。

こちらはかつて綱島時代に13年半使っていた俎板に、未来仏である弥勒菩薩さまを描いたもの。鍋を置いた焦げ跡を後背に見たて、菩薩を描こうと思ったものです。

これを購入してくれた大阪の方、家人の介護やらで色々ご苦労をされた方と聞きました。

まあ、私などは大した苦労をしたわけでありませんが、その中では大変だった方に入る綱島での生活。もしかしたら、クライアントになった方はそこに感じるものがあったのかもしれません。

私も今では、その時よりは充実した生活を送っていますから、その方にも素晴らしい人生がやってくると良いな。そんなことを思いました。

先の展覧会では、作品それぞれがお買い上げになった方を待ち続けていた。そんな印象を受けましたが、新しく購入した俎板2枚。

これにまた菩薩を描く日が来るのかどうか。
今は全く想像できませんが、どうでしょうね〜♪

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