思考停止な戦争体験のオンエア

顔は心の鏡、続きは後日にいたします。

明日は8月15日。今日は安倍談話が発表予定の日かな。
昨日はどこかの国の元総理が、お隣さんに土下座をしてきたりと、何を言ってもモメそうなのでバカバカしい限りですが、 先日お盆の戦争特集は見る気がしない、という記事を書きました。

それについて、読者の方から「戦争について考えるのは大切なことです」というメールを頂きました。確かにその通りなのですが、どれもテレビ局の意図に合うインタビューと編集によって、同じような内容・・・それもテレビ局の意図が色濃く出た内容になっているため、見る気がしないということです。

何が問題かって、「何があっても戦争はいけない」お題目ありきで、原因も理由もかすっぽ抜けた思考停止なことにほかありません。

インタビューを受ける人たちは、子どもの頃に戦争体験をした人ばかり(その人たちも、すでに高齢ですが)で、実際にその時期に日本を動かしていた人の考え(手紙などは残っている)がまったくありません。

空襲に遭った人や被爆者の言葉は、何より大切な証言ですが、戦争被害者にトラウマが残るのは当たり前の話。毎日そればかりをオンエアする様子は、先の震災時にイヤというほど津波の映像を見せられてるのと同じ気持ちになります。

誤解しないでほしのは、わたしは戦争被害者の声をオンエアするのがいけないと言ってるわけではありませぬ。

戦争の悲惨さを語る映像ばかりを山のようにオンエアして、見る側を思考停止にさせることが問題だと言ってるのであります。

今日もNHKでは、北方領土にロシアの副首相が行ったというニュースをやっていましたが、北方領土という日本の確固たる領土だったものが、なぜ未だにロシアに占領されたままになっているのかという話は、まったくされません。

ソ連による北方領土占領は、戦後にされたことですが、それと同じことが尖閣や竹島で目の前で起っているというのにねえ。

まさにマスコミは「報道しない自由」を行使してると言えるでしょう。

アンフェアだと思ったのが、水木しげる先生の「総員玉砕せよ」の原画展の放送です。インタビューで水木先生は「思い出したくない」とおっしゃっていて、当然ながら左手を失う激戦の体験はそうでしょう。

しかし、実際のところ「総員玉砕せよ」を読むとわかるのですが、この作品は反戦ものでも何でもないということです。
「総員玉砕せよ」は、パプアニューギニア戦線で自分が体験したことを、ただただ淡々と描いてる作品です。「ほら、戦争は悲惨でしょ」とか「何があっても戦争はいけない」などとは、一言も書いてません。

淡々と友人がワニに食われていなくなる(ワニも描かれてません。きっと気づかぬうちに水の中に引きずり込まれたのでしょう)場面や、自分の手榴弾でバラバラになる上官の姿が事実として、日常の姿のように淡々と描かれているのです。

結果として、これを読んで戦争が良いと感じる人はおらんでしょうが、「はだしのゲン」にあるような思想の押しつけは皆無であります。

ところが、TVインタビューなどでは、水木先生があくまでニュートラルな立場で描いてることを放映せず、大江健三郎や坂本龍一と同じ立場のアーチストのように見せています。
大らかな水木先生は何も言いませんけど、読まずに誤解してる人は多いハズ。

テレビ局の戦争番組で問題なのは、「戦争が起る原因」を少しも探求せず、いきなり「何があっても戦争はいけない」という思考停止の結果からはじまることでしょう。

矛盾しているようですが、これは極めて危険なことで、「平和主義が戦争を起こす」ことにもなりかねない。

過去にも民衆の単純な思考停止がナチスを生み、わが国でも軍部の暴走を呼んだわけで、もとの理由やバックグラウンドをきちんと考えることが肝要に思えます。

わたしには国会で安保法制に反対してる議員や、戦争させないデモをしている人たちの方が好戦的で戦争をしたがっているように見えるのですが、如何でしょうか。

思考停止な戦争体験のオンエア” への2件のコメント

  1. こんにちわ。

    結論がシナリオに書かれているメディアはメディアではありませんね。
    (実際に文字が印刷されてなくても???)
    メディアでなくジャーナリズムと言うべきかな?
    司会者に力量が有れば、ぶっつけ本番、CM無しで、
    最短でも2時間はやっていただきたい。

    それを通過したら、1億2千万人以外の外国人の回を。
    以前書かせていただいたかも知れませんが、
    宗教、一神教は特に、宗教そのものが一番大切なのであって、
    平和とか平等とか二の次です。
    「平和」の印籠を出せば平伏すのは日本人だけです。
     
     

    アメリカに暮らしていた時、かなり親日の白人男性に、

    座右の銘「七転び八起き」(宮本武蔵??)、
    奥さん日本人、子らは、マリコ、ケンジ、ミキオ、

    貴方は宗教と妻子、どちらか選べと言われたら?、
    まったく躊躇なく宗教(カソリック)と即答えたので、
    妻子を期待して居たヘタレなアッシは、以後、
    帰国するまでディナーテーブルで宗教の話はしませんでした。

  2. お頭さん、おはようございます!

    今日の”おはよう日本”では「駅の子」という、終戦直後ストリートチュルドレンになっていた人の話でした。当方、アチャールくんを描いていた関係で、見入ってしまったのですが、「どんなことがあっても戦争はいかん」のセリフに興ざめ。
    そこをやっぱり言わせたいのかと。

    この方がご自分の経験からそう思うのは当然だし、それはその通りなのですが、そこに局側の意図を盛り込まれているのが、なんともあざとい。

    >貴方は宗教と妻子、どちらか選べと言われたら?、
    >まったく躊躇なく宗教(カソリック)と即答えたので、

    宗教というより、自分は家族より神を選ぶという意味でしょうね。
    多神教で神を選べる日本人からすると、かけ離れた感覚ですが、ある意味で仏教の「自利、利他」「利他行」に共通したものがあるかもしれません(本質はかなり違う気もしますが)。

    またお越しくださいませ。

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