オリバー・ストーン監督の広島訪問

毎年、この時期になると広島や終戦記念日の話題が決まって出てきますが、今年は広島にあの「プラトーン」のオリバー・ストーン監督の来日ということで、少しづつ時代が変わってきたかという気がしてきました。

個人的にはストーン監督作品、押し付けがましかったり、表現過剰、決めつけが多かったりと、そんなに好みの作家ではないのですが、さすがにチェルノブイリでドンパチやったりとか、簡単に核弾頭を爆発させるような人ではありません。

ハリウッドは共和党支持者が多いそうですが、おそらくストーン監督はそちらの中心人物に当たるかもしれません。アメリカ国内ではむしろ自虐史観の立場に立ったタイプに思われていて、保守層からはあまり良く思われてはいないと思います。
(ストーン監督が自虐史観というのではありません。国内で彼をそう思う層がいるだろうという話です)。 

プラトーンのベトナム戦争の描き方を見てもそうですしね。
ミッドタウン内にある、おこわのお店「米八」のイートインです 

周知のようにアメリカでは、「原爆投下は戦争終結に必要だった」という見解で、教科書などでもそう教えています。

10万人もの民間人虐殺がどう考えても正当化されるはずはありませんが、それが戦勝国の見解で、そのせいかハリウッド映画の核の描き方というのは、粗雑きわまりないものがほとんどです。

平気で核弾頭は爆発するし、核爆発のあとも残留放射線が描かれたためしはありません。これって映画だから許されるってレベルじゃないのですが、知らなきゃ仕方ないかなと諦めの気持ちと共に見ることがほとんどです。

これから長崎と沖縄に立ち寄る予定というオリバー・ストーン監督、何か新しい映画に反映する予定なのでしょうが、もちろん凡百の核弾頭爆発のハリウッド作品とは一線を画したものが完成するでしょう。

あの日、広島と長崎に何が起ったのか、来日するまで知らないアメリカ人がほとんどな中で、ストーン監督のような大物が作品を作る意味は大きいです(まだ作るかどうかわかりませんが、きっと作るでしょう)。

なんせ、米国人はみんな知らないんですから。

アメリカ政府は崩壊しない限り、「原爆投下は戦争終結に必要だった」という見解を変えないはずですが、少なくとも民間レベルでは加害者側に当たる米国人に、彼の地で何かがあったかを見せていく活動が必要に思えます。

私も知り合いの外国人には話をするのですが、やはりこれは百聞は一見に如かず。
広島に行った人は何かがあったかよくわかって帰ってきます。
(ただ6年ほど前に行った時、 平和祈念館の展示がマイルドになっていたのが気になりましたが)。

それにしても毎年慰霊祭を見ていて「戦争を二度と起こさない」「平和を貫く」という思考停止なお題目には、年とともに違和感を覚えるのですが(無謬性は原理主義と同じです) 、そんな意味では落とした側の人がやってきて、何がそこで起ったのか確認することは極めて意義のあることに思えました。

高齢となった被爆者の方々が恨み言を言わないのも、ストーン監督が謝罪をしないのも(当たり前ですが)良かったと思いました。

それにしても原子爆弾・・・68年も前に作られたものでさえこの威力。
抑止力にはなるはずですが、こんなモン、持ってていいのかどうか?

みなさまはどう思われるでしょうか。

最後に監督は「原爆の威力と、今の町の発展に違和感を感じた」との言葉。
これも印象的でしたが、どういう意味だろ?

 

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