ワグナー生誕200年とナチスドイツ(つづき)

今朝は5時に起きてTVをつけたら、コンフェデ杯日本vsブラジル戦。
2点目を入れられたところを見て、こっちが戦意喪失。

まあ、今の実力を見せつけられたってことでしょうな〜。
今日一日の出鼻をくじかれたって感じですが、気をとりなおして本日のお題は、再びワーグナーをば!

 

さて、先日拙ブログにワーグナーの記事を書いたところ、亡霊に取り憑かれてしまったのか、なぜか10数年ぶりに「リング」を聴き返しはじめました。

ご存知ない方のために申しあげると、「ニーベルングの指輪」4部作は全曲通して聴くと15時間かかるという、ギネスブックにも出ている大作です。

有名なワルキューレの騎行に代表されるように、その15時間が濃密この上もないため、家で聴くためには完全にワーグナーモードになっていないと、気持ちが音楽に潰されてしまいます。

そんな意味では、今のところ気力は充実してるんでしょうね。

あ、もちろん15時間、音楽だけ聴いてるんじゃありません。新作の制作のBGMにかけているだけです。

それにしても、芸術的な評価は別にして、なぜナチスがワーグナーを選んだかわかるような気がします。

ワーグナーの音楽というのは、自分を偉いと思ってないと、到底作れない音楽です。
(揶揄してるわけではありません)

周知のように「リング」をはじめとして、「トリスタンとイゾルデ」「パルジファル」など、ワーグナーが自ら「楽劇」と呼んだ作品は、脚本も自ら手がけ、バイロイト劇場のように、舞台まで自分で考えて作ってしまいました。

まさにその八面六臂の活躍は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」さながら、超人の仕業でなければ出来ない話です。
これは「自分で自分を偉い」と思うまでもなく偉大な仕事に違いありません。

ここで日本人なら「言うまでもなく偉いのだから、わざわざ自分から言うことはない」となってしまうのですが、そこはゲルマン民族。
さらに自分の偉大さを見せつけます。
(よく日本人とドイツ人が似てるという人がいますが、似てるのは几帳面なとこだけ。本質的なスピリットはそういう点でも、むしろ真逆でありましょう)。

その点がゲルマン至上主義のナチスの琴線に触れたのでしょうね。

ワーグナー自身は、偉いのは自分であって、別にドイツ人全員が偉いわけじゃないと思っていたハズですが。

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それじゃ同じドイツ人の大作曲家ベートーベンはどうだったかというと、少し違うと思います。

ベートーベンだって自分のことを偉いと思ってたはずですが(ホントに偉いけど)、彼はあくまで音楽のしもべだったと思います。

オペラ「フィデリオ」や「荘厳ミサ曲」のように、音楽以外のドラマや宗教の要素が入った作品は、シンフォニーやピアノソナタ、弦楽四重奏のような純粋音楽とは何かが違う。

そんな意味で、ここ数か月。朝はグルダ演奏の4番コンチェルト♪
ベートーベンの作品の中でも類を見ないほど、気高く美しい。

やっぱりワーグナーは朝から聴く音楽じゃないよねえ♪

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