絵で飯を食う〜才能って何?

昨日UPしたおさかなは一晩で姿を消しました(笑)。
まだタイトルもつけていないこの絵ですが、同じF50号ということも、「バベルの塔」とは姉妹作品になりましょうか。

姉妹作品というのは、最初のものに生む時の苦心や知恵が集中し、二番目のものはサックリ描けてしまうことが多いのですが、こちらも完成は同じ時期になるかもしれません。

で、昨日からのつづきです。

繰り返しになりますが、本日は「才能」についての考察です。
当然ながら、画家に限らず、音楽家、文筆家、スポーツ選手など、自分の技術でやってこうという人は、若い頃には自分が天才だ、くらいに思っている人は多いです。

わたしもそうだったし、美術のように多様な価値を求められるものは、スポーツのように完全に白黒がつくものでないから、自分が天才だと思ったら天才なわけですね。他人がどう思うのかは別にして。

でも、この年になると、だんだん自分の才能がどうとかはどうでも良いなあと思うようになりました。

ここまでやれて来ているんですから、才能はある程度はあるんでしょう。でも、本質的に才能の原石というのは、自分が努力して身につけたものじゃありません。

背が高いとか、色が白いとか、ある意味、それとまったく同じわけですね。
ただ、そういう天からもらったものというのは、若い頃は特にその人の人生を大きく左右します。

天からの授かりものという意味で、よく美人も才能だと言いますが、年を重ねて美人という人は中身も美人なわけで、アートの世界でも同じことが言えると思います。

ただ、美人は誰が見ても美人ですが、特に絵画の才能というのは、よほど突出した人でない限り、ちょっと見ただけではわかりません。やはり修練を重ねて、あるレベルに達しない限り評価の対象にはならないということでしょう。

友人のイラストレーター、朝倉めぐみさんがこんなことを言ってました。

「わたしの場合、細い線は最初から描けたんだけど、色はセンスがなくて勉強したの。それは修練したものだから、年をとっても衰えないと思うよ」

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名探偵モンクが、自分の推理力を「呪われた才能」と言いますが、才能というのは、必ずしもほしい人に与えられるものではありません。

元魁皇の浅香山親方みたいに、最初は相撲が好きじゃなかったなんて人もいますしね。親方の場合は、それで大関まで出世したわけですが、多くはいらん才能のムダが世間には死屍累々としてるわけですね。

反対に「下手の横好き」という言葉もあるくらいで、わたしの場合は毎週火曜に稽古している柔道がそれです。

もともと運動オンチだったのが、高校一年の時に授業でやった柔道で、まぐれでクラスでも運動神経の良い相手に勝ってしまったのが嬉しくてはじめたもの。
思った以上にセンスがなかった柔道ですが、取り柄は長く続けていることでしょうか。

稽古後の飲み会では「お前のダジャレは、おまえの柔道の技並みにキレがないのう」などと言われておりまするが、アートもまた「下手の横好き」で良いのではないかと思う今日この頃です。

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