↑ こちらは新築を建てるという方から受けた50号の作品、最初の一筆です。
(なんか、どこかで見たようなおさかながいますけど)。
クライアントは奥さまに早く先立たれた方で、新築はその供養の意味があるそうです。奥さんはわたしの絵を気に入ってくれていて、実際に購入したこともあり、今回の注文はそのご縁です。
「どんな絵にしますか?」と尋ねたところ、「なるべく変な絵」という答えが返ってきました。奥さんが喜ぶような絵だそうで、出来上がるまで途中段階は見ないそうです(顧客はネット関係は一切やらない人なので、こうして安心してブログやFacebookにUPできるというわけです)。
だもんで、今回はキャンバスにいきなり攻撃というわけです。
このまま売れる作家もいますが、わたしの場合はムリなので、ここから仕事を進めないといけません。
さて、何が言いたいのかというと、別に注文が来て忙しいのをじまんしてるわけではありません(〆切が特にないので、別段忙しいこともない。でも、のんびり描いていると、何時まで経ってもお金が入ってこない)。
つまり絵で食べていくことは大変だということですね。
なんで、絵の注文があったかブログに上げるかというと、そんなにしょっちゅうあるモンじゃないからなわけでして・・・(それでも、わたしは知名度の割に注文はかなり多い方です)。
さて、誤解しないでいただきたいのは、別に絵描きが通常の勤め人より大変というわけじゃありません。
わたしは、通常の勤めができなかったから、今の仕事をしてるわけでして、世の中・・・何をしたって、そんな楽な仕事があるはずありません。
絵で食べることで何が大変って、普通は売れないってことですね。
だから、大抵はほかの副業をします。
多いのが学校の先生ですが、最近は教員も仕事が多く、余った時間に絵を描くというのが難しいのが現状です。
予備校の先生、お絵かき教室の先生。
わたしの友人にも副業でやってる人は大勢います( 収入的には本業)。
比較的オススメなのは、どこか美術大学か美術学部の教授にでもなることでしょう。世間の人の大半は、どれが良い絵か、良い画家かなんてわかりません(ナメた口叩いてスミマセン。でも、”大半”というのは本当です。ただ、胡麻化せない人もそれなりにいるのが怖いところ)。
その点、大学の教授ともなれば、誰もが安心して「絵描き」として認めてくれますし、みんな「先生」「先生」と呼んでくれます。いいでしょ♪
ただ、美術大学の中も世間の例にもれず、定員割れのところはいっぱいですから、誰でも簡単になれるわけではありません。
なぜ、こんなことを書くかというと、昨日、あ@花さんからこんなツイートが来たからです。
良い話だけど、これで食べてけるかどうかは別なんだよねん→
RT 見つかる可能性は低いけど、こうして長所を見つけ磨く 自閉症の3歳幼女が描いた絵 お値段£800(約12万円)
この3歳の女の子の絵。実に素晴らしい絵です。
見事な色彩に溢れている。
ただねえ・・・この子の才能を伸ばす教育は必要だけど、まだ3つでしょ。逆にこの子を飯のタネにしようと群がってくる人たちだっているわけだしねえ。
右も左もわからない年齢で青い実を摘まれた人は、才能が早くから発揮できる音楽家には多いですが、絵画だって同じこと。
それよりは日常の普通のことができることが肝要でないかと思います。
この子の絵の売値12万円は1か月のお家賃で消えてしまう。今後80年生きるとして、その生活費や養育費はそんなものでは足りません。
世間の人も、絵描き自身も「才能」というものを誤解しているように思えます。
世間の人は絵描きになるためには、ものすごい才能がないとなれない思ってるようですが、別にそんなことはありません。
大学教授になるための能力は、絵の才能とは別ですし、マーケティングの能力もしかりです。絵画の天才である必要はありません。
逆に絵描きに多いのは、「彼があんなに成功してるのは、売り込みがうまいだけだ。才能とは違う」というケースですが、これは「才能」という絶対基準を自分の定義の中におさめてるに過ぎません。
今のように多様化な時代においては、自分のスタイルを売込んで世間に認めてもらうのも能力のひとつで、真の価値はそれこそ、その人の棺桶にフタをするまでわからないというのが実際のところでしょう。
そうは言っても、生きてるうちにひと花咲かせたいのが人情です。
良い仕事しないとね〜♪
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インドのアチャールくん 血の女神
chapter07を配信中!
こーゆーのを知っといた方がいいと思うのよみんな。
それなりのクオリティのものをコンスタントに生み出すってやっぱり生活管理力がいるのよね。
ところで、おさかなの大作ですか。
お手伝いに行きましょうか?
あ@花さん、おはようございます!
ツイッターを覗いていると、絵の腕を競うような話を見かけますが、勝手に描いて楽しんでいればいいのにと思います。
描いたものをみんなに見せて評価されたいという本能は、痛いほどわかりますが、それは絵画の本質ではありません。
わたしが考える究極の絵画は、ラスコーやアルタミラの洞窟画のような、走る動物を純粋に描きたいという気持ちです。その境地に現代人はなかなかなれないし、人に見せなきゃはじまらないというところはありますが、競うことが目的になってはいけませんね。
アマチュアならなおさら謙虚にならないと。
>ところで、おさかなの大作ですか。
>お手伝いに行きましょうか?
おおお!
そ、そ、そ、それには及びません!
お気持ちだけ有難く承っておきます。
おさかなだけに、ぎょ、ぎょ、ぎょ、ぎょ!・・・なんて、ウフッ♪
>今のように多様化な時代においては、
自分のスタイルを売込んで世間に認めてもらうのも能力のひとつで、
真の価値はそれこそ、その人の棺桶にフタをするまでわからないというのが実際のところでしょう。
そうそう。
モヤモヤしてたところに霧が晴れました。
いやあ~久々に心にストンと入った感じ。
ストンだけに、これは「言葉の小石」かも、うふ♪
かなこさん、おはようございます!
>ストンだけに、これは「言葉の小石」かも、うふ♪
おおお、座布団5枚!
なににストンときたのかわかりませんが、
こんどそのモヤモヤをご教示のほどを!