新宿住友ビル52階にある「スパッカナポリ」。ようやくこういうものを食べられるようになりました(前から食べてるちゅーの♪)
今朝がた、ブログのコメント欄を覗いてみたら、障害支援者とおぼしき方から書き込みがありました。
残念ながら与できるご意見ではなく、むしろあ@花さんのブログやこのブログで何度か疑問視したことなので、あらためて取り上げてみたいと思います。
その様子がキラキラしていて、頑張れない人に対する差別に当たるということなんでしょうね
>違うと思います。障害を持っている人に「障害者はこうあるべきだ!」という固定観念を押しつけている、という意味で差別に当たる、ということだと思います。
うーん。これは、どなたかが固定観念を押し付けたのでしょうか。
情報を発信ことが差別に当たるというのは、ややもすると言いがかりになるような気がいたします。
頑張っている姿を見たくないという気持ちがあるとしても、いらない情報だと思えば、スルーすれば良いことだと思います。
例えば、何らかの方法で成功、うまくいった人が自分と同じ境遇(だと思い込んでいる)の人に「私にもできたんだから、あなたにもできるよ!なんでしないの!!」のように無意味な努力を強いることを指すと思います。
こちらの文章も失礼ながら与できません。
藤家さんが良くなったことは事実ですし、また誰もそのことを無理強いしたわけではありません。
無理強いした事実があるわけでもなく、しかも「無意味な努力を強いる」と言って、はじめから無意味と決めつけるのも如何なものかと思います。
確かに増えるかもしれないけれど、救われないもしくは悪化する人も当然増えますよね。
強制されて悪化したというならたしかに問題ですが、おそらくはそうでないはずです。
逆に、「良くなった」という情報を発信するのをやめろというのであれば、それは言論統制に違いありません。
わたしは藤家さんの悪い時と、今を実際に見ています。
事実を発表する自由はわたしにもありますので、ご意見に与できないことを理解していただければ幸いです。
・・・と、ここまで書いたところで、その方から別のコメントが
科学的根拠のはっきりしていない、もしくは有用性が統計上明確でない介入法を使って「良くなった」ことについては発信しません。それに「本当に良くなったのか」がきちんとしたデーターで示されていない体験談に基づく情報も発信しません。
うーん、これは確かに正論の一面はありますね。
ただ、これを藤家さんら、自閉っ子のケースに当てはめるのはどうでしょう?
私はそのあたり素人なんでわかりませんが、この話は薬事法などに当てはまる話ではないのかな。
失礼ながら、要は治らなかった時の責任はとれないと言ってるように聞こえます。
(支援者が必要以上に責任取ることはないと思いますし・・・)
このご意見通り、「データとして確率されない限り発信してはいけない」のであれば、厚生労働省の認可と同じで、極端な話、何十年も発信できないということになります。
藤家さんは今、30代前半とお若いですが、そうしてる間に還暦を迎えてしまう・・・なんて、わたしのダジャレ以上に笑えない話になってしまう。
これは反対に言えば、求めている患者(障害者)がいるのに治療が受けられないことを、どう受け止めれば良いのか。
両者を整合させる完璧な方法はないというのが現実だと思いますが、新薬を申請するのと違いますから、「良くなった情報を発信すること」がそこまで有害だとおっしゃる根拠が理解できません。
返信コメントありがとうございます。
「キラキラ差別」についてはいろんな解釈の仕方があるようなので、何とも言えませんね。堂々巡りになりそうです。
情報発信についてですが、私の書き方がまずかったようです。申し訳ありません。
科学的根拠のはっきりしない介入法について、当事者の方が「良かった!」と世間に発信するのと、支援者や研究者が「良かった!」と発信するのでは重みが明らかに違う、ということなんです。何も「良くなった!」という当事者本をだすな、ということではありません。ただ、支援者や研究者の立場からすると、その本の内容は怪しいわけですから、批判をするんだと思います。
また、科学的根拠の乏しい支援を行い、失敗した際にはもちろん支援者は責任をとりたいんですよ。ただ、「責任の取り方」が難しいんです。金を払えば済む問題じゃないのはもちろん、違う介入を無償で(規則上できないとは思いますが)すればいいのか・・・。何より、どんな責任の取り方をしても、当事者の不利益を本当の意味で解消できるかは誰にもわからない、ということが問題なんです。
自閉症などの障害を治す研究はいま世界中で進んでますよね。アメリカの幹細胞治療の臨床実験であったり・・・。私もそういった研究の促進を願ってますし、頑張っている最中です。
色々不愉快な点があったとは思いますが、丁寧に対応して頂きありがとうございます。
namazuさん、ようこそです。
>堂々巡りになりそうです。
いえ、そんなことはないと思いますよ。
>また、科学的根拠の乏しい支援を行い、
>失敗した際にはもちろん支援者は責任をとりたいんですよ。
ははあ、胆はそこですか。
でも、あ@花さんの言葉を借りれば、当事者を守りたいのなら、やれることはやりたいとということだし、どうしてそこまで日本人は気にするんだろうってことですね。
聞けば、お若い支援者の方なようですが、よければいちど花風社さん主催の講演にお出になっては如何でしょう・・・ナイショで(笑)。
本を読んでいただき、違ったサイドでアプローチする当事者の意見を聞くことも面白いと思いますよ。
>色々不愉快な点があったとは思いますが、丁寧に対応して頂きありがとうございます。
とんでもございません。
藤家さんの「30才からの社会人デビュー」も好評発売中。
読んでないでしょ?
読んで考えを変えろとは申しませんが、敵を知り己を知れば百戦危うからず。ナイショでトライしていただければ幸いです。
こいつは読まなくていい。
バカに読ませる本を作る気はないです。
敗戦処理みたいな支援勝手にやってればいいです。
あとちゅん平の本は九月下旬の発売です。
神田橋先生に文句があるのかな。
十年引きこもりだった人が就労決めるような支援してからでかい口叩けばいいんじゃないの。
場違いな自慢話をひとつ。
アッシは若い時分、ロッククライミングを嗜んでおりやした。
知る人ぞ知る師匠の後を付いて登りました。
登攀した岩壁は、谷川岳一の倉沢、奥穂高岳屏風岩など等です、但し夏場のみ。
この二つ、前者危険度は世界でも有数、後者は難易度有数です。
ロッククライミングと言うと、落ちたら危ないんじゃないですか?
オマエなあ、落っこったらどうすんだ、死んじゃうぞ。
なんて言われました。
でも登る者は、落ちたらどうしよう、なんて微塵も考えません。
ひたすら登る、でも、これ以上は死ぬ、と思った瞬間撤退します。
師匠に言われたこと、お頭よ、他人が遭難してても助けるな、お前には無理だ。
他人が落ちてきたら、避けろ。
師匠は今ではプロですが、軟弱者のアッシはこうして昔話だけ。
失礼申し上げやした。
あ@花さん、おはようございます!
うはは、勝手に余計なこと申し出て失礼いたしました。
それにしてもツイートでは大変な騒ぎでしたね。
みなさん、こっちのコメントに来て荒れるかと思ったけど(千客万来ですが)、代表者だけのガツンとしたお越しで済んでしまいました。
どーもお世話様でした。
せっかくですので、本日みなさまのツイートを記事の方に掲載しようと思います。
それにしても神田橋先生に文句があるって、あの人の治療を知らない人だよね。まあ、文句あるのかわかんないけど。
お頭さん、おはようございます!
>場違いな自慢話をひとつ
いえいえ、枯れ木も山のにぎわい(おっとと、失礼!)♪
それにしても障害者に関係あるような、まったくないような。
これに、もうひと説明ほしいとこですなあ。
またお越しくだいまし♪
いつも言葉足らず、アイスイマセン。
有り体に申さば、失敗を恐れるな、です。
でも、これ誤解して、失敗しても良いんだ、と解する人が多いんですね。
想像していただきたい、落っこって死んだらどうしよう、って
考え悩みながら垂直の壁を登攀しますか? です。
登りきって頂上に立つ、それだけを目指して登ります。
アフリカの飢餓で苦しんでる子供たちのことは考えません。
集中しろ、ってことでもあります。
生言うとお里が知れますな。
お頭さん、おはようございます!
だいたいそうかとは思っておりました。
津波が来たらとにかく逃げろと同じようなことでしょうか。
(少し違うか)。
>アフリカの飢餓で苦しんでる子供たちのことは考えません。
>集中しろ、ってことでもあります。
こういうことですな。