坂本龍一さんも官邸前デモ
しかしオーラがなくなったなあ、という昨日のツイッターの声でしたが、実はわたし・・・そもそも作曲家としての坂本龍一さんをそんなに評価してません。
ホントの作曲家っていうのは、曲想が泉のように湧いてくるもの。
エカキの世界では「ウンコをするみたいに作品を作る」なんて言いますが(一部ですがホントです)、坂本さんはそのタイプじゃないのよね。
映画音楽などをアルバムで聴けばわかるけど、あの「戦場のメリークリスマス」の主題は素晴らしいけど、あとはストラヴィンスキーの「火の鳥」とか「春の祭典」、オネゲルの「パシフィック231」などの一部を焼き直しで、かなり苦しい作りです。
戦メリの主題も最初のワンフレーズから展開がないしね。あれがモーツアルトやシューベルトだったら、曲が無限に広がるんだけど、そういう広がりはありませんしね。
またピアノ演奏の上手い作曲家だと、即興演奏が即、作曲という離れ業ができますが、彼の場合はそうじゃないので、余計年齢を重ねて肝心の音楽が枯れたということはあるでしょう。
また、YMOで成功した人が「たかが電気」という発言は、語るに落ちたという印象は否めません。
ただ、成功したアーチストって、けっこう反原発や反戦運動に走る傾向があることもたしかですし、そちらの方がメディアも取り上げてくれますしね。
ただアーチストであるなら=原発反対、オスプレイ配備反対みたいな流れの図式は如何なものか。
けっこう脊髄反射的な思考回路で、そちらに走るというのは如何にも凡庸な感じがしないでもありません。
マネが普仏戦争に参戦し、サン=ティグジュペリが大戦に参加したように、フランスのアーチストは必ずと言っていいほど祖国を守る行動をとっています。地球市民なんて寝言は言いません。
それが普通の国のアーティストなんですが。
まあ、わたしごときが世界的作曲家坂本龍一さんに何を・・・なんて揶揄されそうですが、彼の反原発運動は創作枯渇のあらわれと言えなくもありません。
(ご意見はご随意にコメントを)。
ただわたくし・・・坂本発言に個人的に与しないものの、やはりアーチストと呼ばれる人が(あるいは自分でアーチストだと思ってる人もそうですが)、ポリティカルな発言を控える必要はないと思います。
坂本さんの場合も「本業しっかりしろ」なんて言われてますが、そちらはそちら。
彼にとっては両輪の輪みたいなものですから、それは仕方ありません。
(言われても仕方ないけど)。
アートというのは基本的には虚業のきわみ。
それを生業にする人が、社会の中でどう行きていくかは、きちんと考え発言することは必要なことだと思います。
え?
それじゃお前の本業はどうなんだって?
うむむ。
わたくしの場合、社会的認知度は話になりませんが、創作体力だけは自信があるので、今までも今もこれからも、枯れてしまうことはないでしょう。
まあ、できたものを他人がどう評価するかは別の話ですが、ブログで言いたいことを言ってますので、肝心の作品は枯らさず作り続けて行きたいと思ってますので、みなさま、よろしくお願いします!
こんちは。昨日一日原稿やってたもので一日遅れで米失礼します。
図式。テンプレ会話。これが最高につまんないんだよね。FBの組み立て間違えてつまんなくなって寄り付かない原因はそのへんにありそう。
たとえばギョーカイだったら、とりあえず障害者の犯罪に対する厳しい判決には反対しとくのがお約束、みたいなのがつまんないわけですよ。自分の考えはっきり表明すればいいのに。
先日在外反日日本人(ドイツ在住。一応うちの本何冊か読んだらしいです)から、国営放送ZDFを見る限り犯罪者の障害が報道されることはない、という鼻をひくひくさせた「日本は遺憾だ」というメールが来ましたが、私は「そういう国のほうが風通し悪いんじゃないの?」と返事しておきました。まあ日本でもNHKは報道しないけど、新聞は報道するからね。そうしたら、びっくりしたようです。テンプレに合ってないからだろうね。ついでに、ZDFは震災後の日本に関する報道ひどかったじゃないの、ドイツが日本より偏見のない国だって到底いえないね、と言っておきました。障害者関係者は欧米崇拝っていうお約束を守る気は私はないのでね。
そうしたら、やはり偏見が怖い、日本人女性が殺人を犯したとき偏見にさらされたし、捕鯨の話が報道されるたびに鮨の映像が映り、あたかも日本人が頻繁に鯨を食べているようで肩身が狭くなる、というのでこういうコメントを返しておきました。
「私が鯨食をひんぱんにしない理由はただ一つ。いまや高価で手に入りにくいものだからです。けれども長崎など、鯨が食べやすい土地に行ったら必ず食しますし、お土産でも買ってきます。ドイツ人に食のことをあれこれ言われる筋合いはありません。」
それで思ったのは、世の中には自分の小さい世界の中でお約束とされている発言を踏みはずすことが怖い人がいるんだなということです。
そういう人は、世界的音楽家(私は音楽の素養がまったくないので是非はわかりませんが一応外から見て)が仲間になってくれるとなんとなくうれしいんじゃないの?そういう需要があるんだろうね。反原発文化人には。
またきます。
あ@花さん、こんばんわ!
>図式。テンプレ会話。これが最高につまんないんだよね。
はげどう鈴之助にございます。
そういう意味でアーチストだから反戦とか反原発っていうのは、これまたものすごくつまらないと思うのですよ。
もちろん日本は民主主義国家ですから、思想の自由や宗教の自由は保証されているわけで、何をどういう風に考えようと自由ではありますが、坂本龍一氏の反戦&反原発は実につまらない。
加えて、坂本氏のデモ参加を喜んでる活動家は、まさにテンプレート通りを喜んでいるわけであって、さらにつまらないと思います。
あ@花さんはご存知でしょうけど、わたしはそういう反戦運動がきらいなだけで、暴力や戦争を肯定する人間ではありません。ただ覚悟なくして非暴力を唱えるのがきらいなだけであります。
ガンジーの非暴力はある意味で暴力を用いた以上の犠牲者を生み出しました。ガンジーは個人的にはもっとも尊敬する人物ではありますが、その非暴力を踏襲するダライラマ14世も、中国政府相手にものすごい数の犠牲者を出しています。
非暴力による抵抗は実は大変な犠牲が出るはずなのに、そこを考えずただ「反戦」を唱えるのは、ある意味虫の良い話に思えます。
結局集まって騒いで、世界的音楽家・坂本龍一の参加に萌える・・・やっぱりつまらんな。
大滝修治さんじゃないけど、「つまらん、お前の話は実につまらん」って感じです。