”柔道がつまらない”という巷の声に・・・

この記事を書いたのは7年前、2019年9月現在開催されている世界柔道を見る限り面白いですね。過去の意見としてお読みいただければ幸いです。


こちらは福島県主催、来年の大河ドラマ「八重の桜」をタイアップした県のPRでコンペに出したマンガ。残念ながら、某大手広告会社電○通主催のところが持ってったようです。実はこういうムダ玉もいっぱい作ってます。ま、これはこれ1枚だけですが、ラフもあるのでもったいない・・・。

 

昨日は居酒屋で柔道仲間と柔道観戦。
穴井選手のあっけない負けと、緒方選手の残り20秒の逆転負けにがっかりでした。

一緒に飲んだ友人は港区の柔道連盟で子ども相手に指導してるのですが、アテネの時のようなメダルラッシュの時は、入門を希望する子どもが殺到するのですが、今回のロンドンでは果たしてどうか・・・。

実は柔道・・・カウントの仕方にもよるのですが、世界的な競技人口はサッカーの次という本当に国際的スポーツです。ルールがここまで変わってスポーツとなった柔道が、その競技人口の中で勝ち上がるのは、いかに本家であろうと難しいことに違いありません。

未だに金のない男子と、負けて泣く穴井選手にはちょっとがっかりですが、問題はそんなことではないようです。

「30歳からの社会人デビュー」 カバー絵として描かれた最初のラフ。ちゅんちゅんのリアル肖像画です。ちゅんちゅん、美人ちゃんだよね〜♪

問題は巷で「柔道がつまらない」と言ってる人が多いこと。
もちろん、その理由として日本の金メダルの数もあるのでしょうが、たしかに実際に素人がとか、専門家がとかいうことヌキに見ていて面白くないことはたしかかな。

せっかく学校で選択必修になったのに、面白くないと魅力を感じられなくなったら本末転倒です。

現在の国際柔道連盟の会長はラスベガスのカジノなどで財を作った興行師だそうで、それはそれで良いのですが、レスリングとの差別化をはかるために、タックルにあたる朽ち木倒しを禁止しました。

同じ理由で肩車やいきなり下半身の道着を持つのも禁止。結果として格闘技として、見ている方の魅力が半減したようにも思えます。

また指導によってポイントが加算されるシステムも、もともとは積極的な攻撃を促すもののはずが、逆に見てる方に消極的なイメージを感じさせます。

ルールが複雑になった分、もともと投げた投げられたという判定が難しいものが、ますます、ワケわからくなってくる。これでは、老若男女誰でも楽しめるというわけにはいきません。

さらにさらに・・・現在、国際柔道連盟の幹部には日本人が誰もおりません。まるで今の国際的な日本の位置づけを表しているかのようです(ほかの競技はがんばってますけどね)。

本日、柔道は最終日。
メダルの数とか色は、もう気にしませんので、あとはオリンピックを気軽に楽しもうと思います。

”柔道がつまらない”という巷の声に・・・” への8件のコメント

  1. こんにちわ、健康第一、今夜も冷え冷えビールが美味いかな?

    >ルールが複雑になった分、もともと投げた投げられたという判定が難しいものが、ますます、ワケわからくなってくる。これでは、老若男女誰でも楽しめるというわけにはいきません。

    或る意味、勝敗をハッキリさせようという親切なルールかも知れませんが、
    興行主殿は広く観客をエンジョイさせようという立派な魂胆かも知れませんが、
    然し、平等に誰でも分かるように、というのは、やはり無理なのでは?
    スポーツ観戦でも、落語鑑賞でも、予習は有りきでは?

    アッシの拙い経験では、勝負は拮抗すると、傍目で見ているほうには
    詰まらないものです。
    時代劇などで見かけるシーン、剣豪が向かい合って、互いに
    「(こやつ、やるな!)」
    と心で呟くシーン。
    数時間もピタリと停まったまま、睨み合うばかり。
    これは有り得るのです、特に命が掛かってれば。
    それに引き換え、ゴロツキ共vs剣聖ともなれば、ドサ回りの一座の如く、
    ばったばったと人の山が築かれるのです。
    どちらを、楽しい?、面白いと取るかは、貴方次第。
    何事も死ぬまで学習です、ナンチャッテ。

  2. お頭さん、おはようございます!

    >勝負は拮抗すると、傍目で見ているほうには
    >詰まらないものです。

    御意にございます。
    お頭さんもご記憶でしょうが、あの世紀の凡戦と呼ばれたアントニオ猪木とモハメッド・アリは間違いなく真剣勝負でした。

    八百長ならもっとショーアップできたはずですからね。

    ただ、それと柔道がつまらなく感じるのは少し理由が違うと思います。
    やはりルールと判定の方式に由来するものに思えます。

    それにしても男子金なし。
    相撲は外人力士でも気になりませんが、柔道はなあ・・・。

  3. どうも。

    >やはりルールと判定の方式に由来するものに思えます。

    これ、TV枠の影響が有りますか?
    放送時間からの制限?、みたいな。
    バレーボールがラリーポイント制に変質したのは、時間枠を守る(?)ためとか。
    バドミントンなんかも。
    全ラリーが一か八かの賭博に成り下がりましたね???
    (丁半も、面白くないこともないですが???)
    相撲の見合い(?)昔は、二人の気が揃う、高まるまで、
    まあ、無制限だったとか?
    おぼろげな記憶だと、指折り7回まで数えていた記憶が...。

    早い、安い、不味い(拙い)、という世俗が関係していますかね?
    なんでもかんでも欲張り過ぎ?
    そんなに急いで人生、何処行くの?

  4. お頭さん、おはようございます!

    >これ、TV枠の影響が有りますか?

    アメリカでサッカーのW杯が開催された時、
    点数をアメフトと同じポイント制にするとか、CM入れやすいように時間の区切りを変える提案をして、FIFAの幹部を激怒させたそうですが・・・。

    おすもうの立ち合いも昔は無制限。
    それがホントですが、TV中継が大きな収益である以上しかたありません。

    何とも痛し痒しというところですが・・・。

  5. こんにちは。
    オリンピックの柔道競技、終了してしまいましたね。
    この一つ前のエントリーから書き込もう書き込もうと思いながら、なかなか頭の中が整理されずに躊躇してました。

    柔道をやったことない素人の私が『オリンピックの柔道競技が面白く無い』と思ったのは、日本人選手がなかなか勝てないことももちろんあるかもしれませんが、『柔道を見ている気がしない』という感覚のほうが大きいです。
    近々で相撲で言うところの、キッセーとハルマの相撲とか、白鵬が変化したあの一番とか、それに近いです。

    かなり昔は柔道に全く興味がなくて、オリンピックでしか見たことがありませんでした。「山下さんは知ってるわ~」ぐらい。
    それが、あるとき国内の柔道の大会をテレビ中継しているのを見て衝撃を受けたんですよ。『かっこいい!面白い!凄い!』なんでしょう、勝った方も負けた方も強いというのが分かるんです。そりゃあ全国の柔道家のトップが争っているんですから、どの階級も手に汗握る試合でした。

    その後にオリンピックを見たら、『なんだろう、この猫パンチ合戦は。。。』と。

    でも、世界で行われる競技になってもう随分経ちますし、ルールはルール。その中で勝てないのはあらゆる面で研究なり鍛錬なりが足りていないということなんだと思います。

    でも、でもね。。。

    白鵬がこんな事言ったらしいです。
    『白鵬提言!柔道男子は海外出稽古に行け』
    http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20120805-995576.html
    まあ、記事の書き方でイメージって随分違ってきますし、巡業の合間に記者にちょっと尋ねられて思ったことを言っただけのことなんでしょうけれど、なんだか私は非常に腹が立ちましたね。

    このオリンピックでの柔道の苦戦は
    日本が国際社会で『グローバル化』という妙な流れに下手に乗ってしまったがための苦悩や
    伝統や文化を大事にしきれずに右往左往する相撲界の苦悩にも合い通じるものを感じて、、、、それで見ていてしんどかったんですね。

    でもまあ、そんな舞台で勝ち抜く強さを、柔道にも日本人にも、日本人力士にも期待してます。
    (決して出稽古が最善の策とは思いませんがね=3 んふー)

  6. じゅん×じゅんさん、こんばんわ!

    >そりゃあ全国の柔道家のトップが争っているんですから、
    >どの階級も手に汗握る試合でした。

    さすがはお目が高い。
    実は柔道は国際ルールと、国内の講道館ルールとが違う、オリンピックでは唯一のスポーツです。

    細かいルールは忘れましたが、講道館ルールの方が禁じ手が少なかったという記憶があります。

    オリンピック憲章によると柔道の定義というのも、ほかのスポーツに比べて最短で「嘉納治五郎が創設したものを柔道という」。
    ただこれだけです。

    実は嘉納先生が作った柔道というのは、おもに3つの要素があります。
    一つは体育としての要素。これはスポーツの要素と考えて良いでしょう。
    一つは哲学としての要素。
    もう一つは「死合」としての要素です。

    もともと柔道の母体になった柔術は、戦国時代など甲冑組打ちの際に、拳や刀が効かない相手を投げて首の骨を折ることによって制する、文字通り人殺しの技でした。
    死合は文字通り、それを意味したわけですが、あまりに物騒でイメージが悪いので「試し合い」の文字を嘉納先生自らが当てたのです。

    死をシミュレーションすることで、生きることをより感じ、互いにより良い社会を作る。

    「精力善用 自他共栄」

    それが柔道の基本思想なわけですから、その点は外国の柔道とのいちばんの違いかもしれません。

    ただ、武道なんで、どんな言い訳しても強くないといけません。
    特にトップの人たちは、ルールがどうこう言えないわけです。
    (日本選手は一切、言い訳しないですね。勝てなくてもその点は立派ですし、柔道の教えを守っていると言えるでしょう)。

    で、白鵬の発言。
    これ、微妙ですが、わたしはそんなに間違ったことを言ってないと思いました。
    理由は・・・まだ整理できません。

    後日、記事にしてUPしたいと思います。

  7. おはようございます。

    えーと、わたくしが白鵬の提言にむかっときたのは、鳴戸の『出稽古には行かない』という方針に言われたような気がしたからです。はい。わかっておりました。でも白鵬は日本柔道に言ったんですよね。わたくしがむかっとする必要はないです。

  8. じゅん×じゅんさん、こんばんは!

    そーですよ。それって、あまりに鳴戸部屋原理主義でしょ(笑)。

    コメントを熟読しましたが、なぜお怒りなのかよくわからなかったのですが、つまるところそこでしたね。

    周知のように鳴戸親方が出稽古をさせなかったのは、なれ合いになるのを嫌ったからだそうですが、本当に身になるのならやらせたに違いありませんものね。

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