今回の冬の京都散策で回った場所は以下の通りです。
1日目:相国寺、京都御所、護王神社、錦市場、ブランピエール(夕食)。
2日目:今宮神社、大徳寺、上賀茂神社、萬川(夕食)。
3日目:泉涌寺、先斗町、祇園、高台寺(通過)、六波羅蜜寺(通過)。
いや〜、行きたいところの半分もいけませんでしたが、こうして見るとけっこう回ったものですね。
京都という街のすごさは、年齢を重ねるほどの身にしみて感じるようで、今回はまさに歴史と美術、料理などに圧倒されっぱなしでした。その中で一つ挙げろと言われると、むずかしいながら、個人的には大徳寺でしたでしょうか。
京都美庭観察私記
大徳寺は1997年にDCカードの情報誌の仕事で訪れて以来ですから、なんと23年ぶり??? あらら、そんな昔になるんですね。
駆け足の取材だったことと、通常大徳寺は限られたところ以外は一般公開してないこともあって、この時は大仙院と龍源院(りょうげんいん)のみの訪問でした。
今回は運の良いことに、普段は非公開になっている総見院や法堂(はっとう)、高桐院などを拝観することが出来ました。
▼中でも印象的だったのは、あの信長公の遺影像が置かれている総見院でしょうか。
織田信長が今、大河ドラマにもなっている明智光秀に本能寺で討たれたのは衆目の知るところ。
その1年後、豊臣秀吉によって法要のために建立されたのが、この総見院だそうです(当時は大徳寺から独立していた)。
太閤殿下は信長公の遺影となる木彫の像を二体造らせたそうで、一体は香木で作り、ご遺体のない信長公の代わりに火葬にしたそうですが、残されたもう一体が、総見院に収められている木彫だそうです。
▼それがこちら。おそらくは生前の信長公に一番近いお姿に違いありません。
この写真を見る限りは「魔王」と呼ばれた織田信長のイメージそのままで、何とも恐ろしい感じですが、実物はもう少しやさしい穏やかな雰囲気でした。
やはり天才の相というのか、異能の人の相とでも言いましょうか。
もちろん武人の顔ではありますが、今で言うと、才気溢れるデザイナーにいそうな顔にも思えました。
信長の法要では、「右府さまがおるで!」なんて畏敬の声がもれたかもしれません。
信長公の遺影像は、御本尊の左側に置かれていますが、明らかに後世に作られた「織田信長」と書かれた木彫りの文字がご愛嬌。でも菩提寺が呼び捨てにして良いものかどうか…何かか曰くがあるのかもしれません(笑)。
観光客のみなさんも、ご本尊や開基の像そっちのけで、信長さんの遺影像に手を合わせておりました(私もですが)。
つづく。