8月上旬にすでに発売されていましたが、このたび宇田川敬介著「暁の風 水戸藩天狗党始末記」(振学出版)が上梓されました。
実は宇田川さんの原稿は、昨年の2月に出来ていたのですが、私の怠慢で今月の発売なってしまいましたというわけで……しかしながらこれでも私、原稿を落としたことありません。
元々は締め切りのなかったこと加え、原作者の宇田川さんが「絵はわからん」と言って上がったイラストを見もしない人なので、「まあいいか」と、急ぎの仕事を優先に次々に後回しにしてるうちに、ここまで伸びてしまったというわけです(笑)。
発売が遅くなったことで、ひとつ良かったことは、カバー絵が天狗の顔になったことでしょうか。
そもそも原作の小説に天狗も天狗のお面も出てきません。
「天狗党の乱」は水戸藩にとって汚点とも言えるお家騒動……というか、悲惨きわまりない内乱です。原作者の宇田川さんが好い加減な人なので、内容は深刻な側面から離れていますが、これは誰が書いても明るくなりようがない事件です。
ちなみに天狗党は島崎藤村が「夜明け前」で取り上げてるそうで、私はこの小説を読んだことがあるはずですが、若い頃読んだということもあって、「何て暗くてつまらない小説だ」と途中で投げた記憶があります。
藤村の「夜明け前」が天狗党の話だったとは、宇田川さんから聞いて初めて知った次第で(笑)。
天狗党の名は、藤田東湖の四男・藤田小四郎らが結成した組織を、水戸藩内部で揶揄する意味でつけられた名前です(裏表紙の場面です)。
つまり「お前らは天狗になっている。思い上がっている」という意味でつけられたネーミングで、自分たちが自分たちを「天狗党」と呼んだことは一度もないのです。
揶揄された名前が有名になった例は、絵画でも「印象派」や「野獣派」などがありますが、それだけにインパクトがあるため、名前として定着したのですね。
版元の振学出版からは「天狗の顔をカバー絵にしてください。天狗党の無念さが伝わる忿怒の表情で」というリクエストでした。
顔を描く時って、描いてるものと同じ表情になるため、最初は興が乗らなかったのですが、腹が立つことがあった時に一気に天狗の顔に怒りを封じ込めました。
わたしはスッキリしたけど、天狗さんは怒りっぱなし。
でも、このカバー絵はけっこう評判良いようです。
個人的には「暁の風 水戸藩天狗党始末記」は徳川慶喜公の行動に興味が持たれます。慶喜公……今でいうサイコパスみたいな人だったのかな?
ご興味持たれた方はぜひご一読を。