ブログをホームページ内に動かしてから4日目。
どうやらブログの移転は、読者のみなさまにも少しづつ認知されてきたようです。
また写真をクリックするとhpの新しい部屋にジャンプします!
今回は「山形山水図屏風」です。
そちらも合わせて、ご覧下さいませ!
ただ今のところ、カレンダーがないとか、
書いたコメントを自分で手直しできないとか、
(できるはずですが、管理人のわたしがわからないのです)
読者の方には勝手のわからない(わたしもわからない)ブブンもあると思いますが、
これから改善していこうと思います。
何か使い勝手の悪い点は、ご遠慮なくご指摘くださいませ。
コメント欄からでもメール、ツイッターやツイッターのDMからでも、どの媒体でもけっこうです。
さて、本日は久々に原発の話題です。
先日行った勉強会で、
もんじゅの設計に加わった原発専門家の草津先生(仮名)に話を伺いました。
それというのも、参加者のひとりが原発の賛否を討論しようと言ったので、
討論の前に草津先生に、日頃疑問に思っていたことを先生に質問してみたのです。
(先生とは知り合いになって3年ほど経ちますが、
少しでも科学的なことというのは、専門家以外は避ける傾向があるからです)。
「そもそも福島第一原発は事故が起ったとはいえ、廃炉までに40年かかるもの。
原発事故があったあと、日本中にある炉を止めたわけですが、
事故の起っていない原発を止めた場合、果たしてそれが安全になるのかでしょうか?」
原発はスイッチを消せば、すぐに止まる電気製品のようなわけにいかないでしょう、
ということを聞いてみたのですが、はたして先生の答えは・・・。
「安全とは何を基準にして安全というのか、定義をしないといけませんね。
それとは別に一時停止後、放っておいたら爆発します。
残留熱を数年かけて冷却しなければ、安全とは言えません」
ということでした。
つまり原発を停止したからといって、誰もが安心できる状態になるのかといえば、
決してそういうわけでもないようです。
安全と安心は違うと言いますが、別の意味でこれはその典型的な例でしょうか。
つまり、炉を止めても安心ということではないのです。
もちろん正常に動いていた炉なら、きちんと処理して止めれば、
福島原発みたいなことにはならないでしょう。
ただ、止めて廃炉にする場合は、数年で安全な状態になるようですから、
止めた方が将来的には安全だと言えるかもしれません。
また原発=核兵器という発想もありますが、
これはウランを濃縮しないでも稼働するタイプの原発は、
どう応用しても核兵器につながらないそうです。
この手の原発が、未来系の原発として研究開発されてきたそうですが、
その矢先、あの事故が起ってしまったというわけです。
原発を知らない人間が原発の議論をするなとは言いませんが、
草津先生に言わせると、
反原発も推進派もそれを知らないで議論しているとのことです。
そうはいうものの、今後新しい原発の開発は現実的には難しいでしょう。
安全と安心は違うということを考えれば、どう安全策をめぐらしてみたところで、
「人間のやることに完璧はない」の一言で「安心」を得らることはないからです。
それにしても瓦礫の受け入れ、ようやく静岡県が手を挙げましたね。
色々と住民の事情などはあるでしょうけど、
同じ日本人として、受け入れ反対というのは如何なものかと思います。九州の方の議会で、「完全に安全だってこと証明しろ!」
なんてヤジがあったそうですが、まったくねえ・・・。
もっとも、受け入れ反対派に世論は厳しいようで、
まだ日本人もそこまで堕ちてはいなかったかな、なんて思うこのごろです。
写真は「山形山水図屏風」。
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>どう応用しても核兵器につながらないそうです。
またまた天邪鬼ですが、発電所の原子炉をテロすれば、兵器とほぼ同様かな?
確認取ってませんが、ごみ受け入れ、本業がごみ屋とか?
利権ですかね?
疑えば切が無いのですが、知らずに浮かれるのも厭ですね。
お頭さん、おはようございます!
おおお!
たしかにそうですね。
でも、それって原発に限った話じゃないですよね。
あの元米国務省日本部長、ケビン・メア氏の「決断できない日本」にありましたが、
メア氏が「発電所に銃を持ったテロがあったらどうする」と聞いた時、
担当者が「発電所内は銃の持ち込み禁止ですから」と答えたとか。
もう一人の米国人が「何かのジョークだから、笑った方が良いのか?」と聞いて、
「ジョークじゃないだろうから、笑わない方がいい」と答えたとか。
あ、横道にそれましたが、あくまで核兵器の転用と意味で。
転用するには、どうし”てんよう”・・・なんて、ウフッ♪