ブログをはじめて以来、はじめてとも言える連日のアート記事になりますが、六本木ヒルズ森美術館で開催されている「アンディ・ウォーホル展」見てまいりました。
「人事は棺を蓋うて定まる」と言いますが、1987年にウォーホルが世を去ってから27年(もうそんなに経つ!)、生前の彼の姿を知らぬ若いギャラリーが大勢集まる展覧会でした。
そんな中にも画学生と思しき若い女性の姿が多く、そんな人たちが目をハートにして作品を食い入るように見ていたのが印象的でした。
ウォーホルというのは、ある意味でアート界のアイドルなんですね。
自分の容姿にコンプレックスがあったというウォーホルですが、それを克服して、死後30年近く経った後にもギャラリーを魅了するというところはさすが。
(コンプレックスがあったという割には、ウォーホル自身は自分の姿の露出が多いのは、それを”克服した”ということになるのでしょう)
ウォーホルといえば、何と言ってもマリリン・モンローの連作ですが、それ以外のスタイルの作品も数多く展示されていて、意外な一面を見出すことができました。
面白かったのは、展示の最後に出品されていたウォーホルの遺品です。
当然ながら、彼自身の意志によって展示されたものではないのに、丁度ヨーゼフ・ボイスのようなモダンアート作品になっていて、それを見るとウォーホルという人が、本人を含めてアートだったんだなという実感を持ちました。
もっとも、それを言うと彼自身の言う「自分は表面に出てること以外、何もない人間だ」ということに否定になりますが(笑)。
世の中にはパッヘルベルやアルビノーニのように「カノン」や「アダージョ」以外に知られてないアーチストもいて、そういう人たちは作品のみを感じて評価するしかないのですが、多くの芸術家は個性的な人も多く、その人のイメージとセットになっているケースが多いです。
それは別にわるいことでも何でもなく、むしろ本人と作品というのは深く関わっているため、その関係を知ろうとすることは、そのアーチストや作品を深く知る手がかりになるのですが、いや、アンディ・ウォーホル・・・もっと軽いアーチストだと思っていたけど、意外に深くて手強かったなあ。
本人は「表面だけ見てくれ」と言ってますが、見せていない部分がすごく多いのですね。
意外だったのが、熱心なカソリックだったことで、これは両親がスロバキアからの移民だったことによるようです。
何人かいる兄弟の末っ子だったらしいから、家の中の言葉は英語だったのでしょうが、親同士はスロバキア語で話をしていたのでしょう。
そんなことは作品には露ほどもあらわれてはいないものの、晩年の十字架は、58歳という若い死を予感させるに十分なものでした。
共感できた言葉は「アーチストの仕事は普通に働く人と同じ」。そうそう、普通に働いてご飯食べるのが人としての生業です。
ウォーホルは1968年に銃撃されてから、そんな意味作品の方向が変化し、最も有名な肖像画の仕事を初めたそうです。
一説によれば肖像画は1点で2万5千ドル。2点で3万ドル。1968年はまだ固定相場で1ドル360円ですから、けっこうなお値段ですが、その後何億も相場がついたウォーホル作品とすると、まあ適当でしょう。
マイケル・ジャクソン、ミック・ジャガー、キミコ・パワーズと、みなさん、出せる人たちばかりですからね〜。
普通に働く人と同じ、というには十分過ぎるお値段ですが、そこも含めた生業ということなのでしょう。
ともかくも見応え十分。
一見の価値ありです。
まだの方はぜひご覧くださいませ。