歌麿「深川の雪」

↑ こちら画像は「寛政三美人」Wikipediaから。

「深川の雪」 喜多川歌麿の幻の浮世絵が66年ぶりに一般公開

不調法ながら、わたくし・・・歌麿の三部作というのを、このニュースがあるまで存じませんでした。

「品川の花」「吉原の月」「深川の雪」というのが、歌麿雪月花三部作だそうで、花と月は米国の美術館所蔵。

66年ぶりに発見されたという「雪」は、パリにあったものを買い戻したものだそうです(昨日のNHK歴史秘話ヒストリア情報ですが)。

それにしても歌麿という人、たおやかな美人画を描く絵描きというイメージとは反対に、相当な反骨の人だったようですね。

先日、見て来た江戸東京博物館の「大浮世絵展」でも、江戸時代に何度もあった改革の度に、浮世絵全体の絵のスタイルが変化していく様子が面白かったのですが、歌麿はまさに「寛政の改革」真っ只中に身を置いた人だったようです。

はて、寛政の改革といえば、あの「水清ければ魚住まず」の松平定信による幕政改革ですが・・・。

そうそう、昨年の夏にサントリー美術館で開催された谷文晁(たに・ぶんちょう)こそは、松平公がパトロンだった絵描きじゃありませんか。

いやいや、ことあるごとに幕府に目をつけられ、晩年近くには手鎖50日の刑に投獄された歌麿とは対照的です。
昨日の歴史秘話ヒストリアを見ると、当時の幕府が歌麿の芸術をわからずに、政治的な意味で弾圧していたのは、見ていて愉快なものではなかったのですが、松平公は谷文晁のパトロンになってわけですから、アートに無理解だった人ではなかったようです。

文晁展にもあった、定信が文晁に描かせた稲藁の絵などを見てもそれがわかります。

その画題を見ても推測できるように、幕政のことを真剣に考えていた真面目な人だったようですが、ただ洒落のわかる方ではなかったようですな。

なにより文晁は多才な画家でしたが、センスの良い・・・という絵描きではありませんでした。ゴツゴツした羅漢やお坊さんを描くのには長けていましたが、美人さんを描いたものといえば、はて歌麿のそれとは比較になりません。

それにしても、優雅な美人画を描く歌麿が反骨の画家で、無骨な羅漢絵を得意とする文晁が体制側についていた画家というのが、実にアートの矛盾というか、面白いところに思えます。

そういう意味で早くから歌麿に注目して絵を買い付けていた、西洋のバイヤーは大変な目利きだっというわけでしょうね。

おっと、いかんいかん。
タイトルに「深川の雪」と書きながら、まったく本作に触れていないぞ。

この絵については、箱根で公開される実物をこの目でぜひ見てみたいと思います。
記事はまた、その時にでも。

さて、またこれから六本木のサントリー美術館とウォーホルを見に行って参ります。

明日以降も珍しくアート記事攻勢、お楽しみに!

 

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