1年前、わたしは居酒屋にいたバカ野郎です

3.11を機会にというわけではありませんが、

試験的にブログを自分のホームページ「小暮満寿雄 Art Gallery」の中に移してみました。

今回移設したブログは、カレンダーが見当たらないとか、
gooのブログとしくみが違うところがある上、
私自身がまだ慣れてませんので、gooのブログも一緒に更新します。
(ただ、コメントはgooの方しか反映されないようですね。
いずれ改善いたします)。

小暮満寿雄 Art Galleryと合わせて、よろしくお願いします!

あれから早や1年。
あれは突然やってきました。

1年ぶりに3月11日あとに書いた一連のブログを読みましたが、
けっこうなスピードで様々なことが動いていたようです。
(3月11日当日は朝ブログUPしただけに、わりと暢気なことが書いてありました。
知らぬが仏とはこのことです)。

実はあの日とその翌日、わたくしは2日連続で居酒屋にいました。
あ@花さんに言わせると、知り合いであの日居酒屋にいたのは
ご主人とわたしだけだったそうですが、
なんのなんの、青山もっきんばーどは超満員でしたぞよ。

ケータイはまったくつながらなかったものの、
夕方くらいになってメール連絡ができるようになり、家族の安全もしっかり確認。

地震当日は友だちとあらかじめ約束していたこともあって、
「どうする?」と聞いたところ、「どうせ帰れないから行きましょう」となりました。

テレビでは津波の凄まじい映像が何度も何度も流れてましたので、
一杯やることに多少の抵抗はあったのですが、こちらにできることは何もないので、
ここは開き直って一杯です。

居酒屋にいる間に何度も大きな余震があり、
焼き鳥屋さんという強い火を使う商売なんで、ちょっと心配でしたが、あちらもさすがはプロ。
いつもと違わない味をしっかり提供してくれました。

で、実は翌日も赤坂で毎年春に行っているクラス会を予定していたのですが、
はたして行ってみると赤坂「茜どき」に集まったのは地元の4人だけで、
店内は私たち以外は誰もいませんでした。

クラス会というよりは、ただの飲み会になってしまったので、
ここは場所を変えて、アセナに行ってみようということになりました。

街に人はおらず、はたしてアセナもわたしたち4人だけ。

アセナに設置されたテレビは、普段ならトルコのDVDが流れているのですが、
この日はさすがに地震のニュース一辺倒。

そのうち
福島第一原発が事故を起こしたという一報が流れ、
「これは大変なことが起った」と背筋が寒くなるのを覚えながら、
ずっと飲み食いを続けていました。去年、ブログには書かなかったけど、呆れ返ったバカ野郎ですわ。

昨日はその1年後のクラス会。
集まった4人はすべて出席、みんなからバカじゃないかと言われながらも、
1年を無事過ごせたことに感謝です。

それにしても福島第一原発。
廃炉までに40年、最初に思ったよりはるかに悪い結果となりました。
廃炉まで長生きしていられるかな。

生きてない方が幸せかな?
陽気に語り合いながらも、昨日のクラス会ではそんな話題にも花が咲きました。

画像は拙作「エメイ山を従えるカーリー」。
カーリーはインドの凶暴でパワフルな女神。
エメイ山とは架空の山ですが、峨眉山の”峨眉”を中国語発音するとエメイになるそうです。

1年前、わたしは居酒屋にいたバカ野郎です” への1件のコメント

  1. お言葉全文を掲載して置きますね。
    なんだか、彼方此方で不敬にも編集されて、この国に言論統制の靴音が...。

    東日本大震災から1周年、ここに一同と共に、震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します。

     1年前の今日、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。その中には消防団員を始め、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。

     さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。

     この度の大震災に当たっては、国や地方公共団体の関係者や、多くのボランティアが被災地へ足を踏み入れ、被災者のために様々な支援活動を行ってきました。このような活動は厳しい避難生活の中で、避難者の心を和ませ、未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。この機会に、被災者や被災地のために働いてきた人々、また、原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を、深くねぎらいたく思います。

     また、諸外国の救助隊を始め、多くの人々が被災者のため様々に心を尽くしてくれました。外国元首からのお見舞いの中にも、日本の被災者が厳しい状況の中で互いに絆を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に印象付けられたと記されているものがあります。世界各地の人々から大震災に当たって示された厚情に深く感謝しています。

     被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。

     今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。

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