本日はケネディ駐日大使のイルカ漁についてのツイッター発言と、ファミリーマートのフォアグラ販売中止についてです。
で、こちらがケネディ大使のツイッター。
「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」
いつもながら、クジラやイルカといった「食」に関する欧米諸国の独善には、ほとほと困ったものだとしか言いようがありません。牛や豚、鶏や羊肉を誰よりたくさん食みながら、クジラを食べていけないとはねえ・・・。
あまりニュースになっていませんが、インドではどこかの団体が、欧米諸国に「私たちにとって神聖な生き物である牛をそんなに食べないで」というメッセージを送ったそうです。
その善し悪しは別にして、「クジラを食べるな」というのを、インド人が言うよう、そのまま熨斗をつけて返したいところです。
彼らにとって食べて良い動物と、食べてはいけない動物があるのは理解できますが、それを他国多文化に押し付けるのは、まさに内政干渉。
そもそも、動物というのは、ほかの生き物の命を奪って食べてなければ、生きながらえることのできない罪深い存在なのにねえ。
まあ、昆虫食なんか見てると、正直気分の良いものではありません。
クジラを食べるのが、それと近い感覚なのかもしれませんが、倫理的には食べて良い動物、いけない動物を他文化に押し付けるのは、おやめいただきたいものです。
リクツで考えれば、クジラを食べるなというのは、論理的にも倫理的にもおかしな話なのですが、基本的にキリスト教原理主義で考えれば、自分たちの神こそが正しいということになるのでしょうか。
そもそも「白鯨」でもあるように、アメリカはもともと捕鯨大国。
ペリー来航にしても、もともとは捕鯨基地の確保に開国を迫ったわけですから、宗教的な意味すらありません。
また、フォアグラはガチョウの肝臓を肥大させて食べるということで、最近は欧米諸国は「残酷だ」というので食さないといいます。
もともとフォアグラはフランスのものですから、これは事後法ですね。
自分たちで作っておいて、やっぱりダメだと過去の食文化を否定するというのは、如何なものでしょうか。
ケネディ大使に関しては、マスコミはケネディ大統領の長女ということで、マスコミでは大いに取り上げられましたが、テキサス親父のセリフじゃないですが、私は彼女の方丈記の引用で疑問を感じていました。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
冒頭のこのセリフを引用したのですが、「川の水は流れるが、川の景色は変わらずにいる」という言い方をしたのですね。
方丈記の冒頭は「無常」ということを説いています。
常に森羅万象は同じではない、ということですね。
ところが、ケネディ大使の引用では、「無常」ということの真逆を言ってます。
「川は流れるけど、景色は変わらない」って言ってるんだから。
これほど考えが違えば、今回のイルカ漁批判ツイートも仕方ないか?
とにかく、この手の話が出るたび、私は言いたくなります。
>それを他国多文化に押し付けるのは、まさに内政干渉。
あのー、内政干渉どころか、
「ジェノサイド」
だと思います。
一神教が何をしてきたか、これですね。
そのことに気付けない、現生人類の能(力)の限界でしょう。
大切なことなのでも一度。
南北米で絶滅危惧人種を生み出したのは、どっから来たヒト?
まあ、鯨肉はどうしても食いたい、というわけじゃないですが。
イルカ肉は更に癖が強いそうですが...
となると、我々は何に訝っているのでしょう、上記に戻る。
我田引水、傍若無人、唯我独尊、正解は何でしょうか???
欧米文化は、おもてなし、裏ばかりです。
ジャンジャン、おそまつ。
変換ミス、
現生人類の能(力)→ 脳(能力)
ですた。
お粗末君。
お頭さん、おはようございます!
ことごとく御意です。
いや、「お前が言うな」に集約される欧米文化。
動物愛護しかり(もちろん虐待しちゃいけませんが)、毛皮不買運動しかり、死刑廃止論しかり。
どれも論理矛盾に気づかぬ独善です。
まあ、鯨肉。
高いし、それに見合う旨さかっていうと、そうでもないですが、食うなっていうのは話が違うでしょってことですね。