日本人でこの絵を見たことない人は少ないでしょう。
速水御舟の「炎舞」。
40歳で夭折した御舟の間違いない最高傑作です。
連休中、山種美術館で見た速水御舟展、あまたならぶ傑作の中でもダントツの作品でした。
意外だったのは、速水御舟・・・もっと筆の走る画家だと思っていたのに、けっこう不器用な絵描きさんですね。
こういうと誤解を招きますが、別に絵描きが不器用というのは悪いことでもありません。器用にスイスイ描ける画家に傑作が描けるかというと、別にそういうわけでもなく、画家にも器用な人と、そうでない人がいるということであります。
そんな中、速水御舟は典型的な不器用な画家でした。
とにかく川合玉堂や竹内栖鳳などのように、筆が走り、微細な描写に長けてる画家と違い、実物の御舟は線の太さが不均衡で、見るからに慎重なノロノロ運転をしています。
その御舟にとって生涯の一枚「炎舞」は、線ではなく、複雑なトーンを重ねた文字通り炎の表現が勝負でした。
御舟は一年後に似たような構図で「飛んで火にいる夏の虫」を描いてますが、本人も言ってるように、この炎の表現は二度と描けなかったようです。
さて、御舟を引き合いに出すのもおこがましいですが、わたしにとっても同じ局面に遭遇・・・というか、ものづくりをする人間なら、二度とできないというのは、いくらでもあることであります。
こちらは以前、綱島時代に使っていたまな板に描いた弥勒菩薩。
米国人クライアントからフリマで見つけたというまな板を提供されて描くことになったのですが・・。
まな板に刻まれた包丁の激しい跡やらで描きにくいことおびただしい。また、表面がざらついているので、細かい線がすぐにふくらんでしまいます。
けっこう手強いぞ、このまな板は!
当然ながら、板が違うので同じものはできません。
そこで包丁の跡に顔料をしみ込ませ、逆にそれを浮きだたせる形にしました。依然に描いた、まな板弥勒とはまったく違うものになりそうです。
というか、同じ仕事というのは二度とできない。
よく出来た仕事ならなおさらで、それくらいなら違うことをした方が良いということでしょうか。
弥勒さまを描きながら、あの速水御舟の見事な炎に思いを寄せた次第です。