赤坂も台風一過でした

西尾幹二先生のブログに記事が紹介されました
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写真は被害を受けた京都嵐山の桂川。
今年の7月に行ったものですが、普段はこんな感じなのでしょう。この柵より上に水が来たのですから、河川の増水というのは恐ろしいものです。

「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の錦なりけり」

能因法師が嵐山の紅葉を詠んだ百人一首の歌ですが、今年の紅葉が危ぶまれます。

こちらは熊谷は妻沼(めぬま)の聖天(しょうてん)さま。妻沼聖天さまの見事な彩色。被害がないと良いのですが・・・。

どこかのお寺が飛ばされたそうですが、聖天さまはどうでしょう。
有名なところなので、被害があったらニュースになってるとは思いますが・・・

それにしても災害の多い日本列島の中にあって、東京というのは、地震以外の自然災害というが比較的少ない地域です。

以前、綱島に住んでいた時は、台風の時など鶴見川の堤防が心配になる時がありましたが(今考えると、けっこうな低地に住んでました。小山ドライビングスクールの近くでした)、赤坂には川もないし、私のところは坂の中腹にあるから津波や浸水の心配もない。

だからニュースを見ていて思うのは、あまり人ごとだと思わないようにしないとは心がけています。

それもまったく被害がないかというと、そうでもありません。

わが町赤坂でも氷川祭りが1日短縮という、思わぬ被害を受けましたが、それも屋根を飛ばされたとか、家の中まで水が来たという人たちに比べたら、大したことはありません。

実は氷川祭り、一昨日の日曜は担ぎ手がウズウズしてたそうで、あの雨の中、神輿が担がれたそうです。

お上が民衆のガス抜きをはかる意味もあったお祭りですが、思うツボの人間が赤坂にもいっぱい。

実は赤坂というのは、素顔は適度に品のわるい下町です。
東京は田舎者の集まりだと言いますが、まさにこの地はそれ。

昨日は祭りの片付けだったそうですが、身内でそれなりの盛り上がったんだとか。

赤坂と一口に言っても、今繁華街になってる一ツ木通りの周辺は、江戸時代には下級武士の住んでいる場所で、溜池に至っては文字通り溜池でしたから、あまり高級住宅というわけではありませんでした。

高台にある青山や六本木は、それこそ毛利邸の名があるように、大名旗本の屋敷だったそうで、水害の心配はもちろん、地盤が強いので地震にも強い。

唯一怖かったのは火事だけでしょう。

私の実家は赤坂の中では、比較的土地の低いところにあって、子供の時分には大雨や台風があると、玄関の下駄が浮いたものでした(浮くのは下駄です。靴ではなく)。

子供だから、下駄が浮くようすが面白く、大はしゃぎしていたようで、どうして大人は喜ばないのか不思議だった記憶があります。
大雪と一緒ですね。

何年か前の大雨の時、水道局の人が五丁目の地下で溺死したことがありますが、江戸の頃はもっと海に近かった赤坂の地勢によるものかもしれません。

台風真っ只中、溜池周辺はどうだったんだろう。

大雨だと海のようになるあの場所ですが、最近はその時に行くことがないのでわかりません。

とにかく被害が少ないと良いですね。
京都に被害があったというと、やっぱり日本人とすると心配です。

何事ないことを祈ります。

赤坂も台風一過でした” への4件のコメント

  1. こんにちわ、めっきり秋な朝夕ですな。

    >溜池に至っては文字通り溜池でしたから、あまり高級住宅というわけではありませんでした。

    その昔、溜池には渡し船が在って、文字通りに遊女が流れ着き、
    それが巡り巡って芸妓(者)に発展しました。
    明治21年にお上が芸妓を認定し、以後、昭和の終わりまで、
    なんとか維持されてきましたが、平成の世は芸妓終焉の時代かも。

    芸妓とはいわゆる芸者の公式名称です。

    芸妓≠花魁≠遊女≒女郎、です。
    この辺の話を25日(水)に大卒の元芸妓と、
    ブラタモリでタモリを引率した大学講師とのコラボで、
    一献傾けながら語り、聴きます。
    参加されたい方お有でしたら、アッシまで。
    12000円の木戸銭です。

    ありゃ、他人んちに入り込んで宣伝しちゃった。
    ご容赦。

  2. お頭さん、おはようございます!

    芸者のルーツは遊女だったというのは、場所がらありそうな話ですね。
    意外に歴史が新しいのね。

    geisha girlは海外でも有名ですが、平成は終焉の時代?

    なんかもったいない気はしますけど、後継者っていないんでしょうかね。
    どうなんでしょう。

  3. おはようございます。

    >後継者っていないんでしょうかね。

    居なくはないことがこの度分かりました。
    どう育てていくか、ですな、何事も。
    昔は大旦那がバサバサ札束を注いだのですが、
    領収証が何事にもきっちり付き纏う今では、難しい。
    然し、今芸妓を志す彼女たちは、売られて成った訳ではないので、
    マイナスからの出発ではないから、頑張って欲しいなあ。
    またお座敷の会をやろうかなあ?
    積み立てをして??

  4. お頭さん、おはようございます!

    何事もセチ辛い世の中ですからね〜。
    芸者というもの自体、丼勘定の世界だったからあったようなもの。

    ただ、時代と共に変化しないといけないのもたしかで、次の時代の芸者というものがあるでしょうな。

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