こちらは痛風発症以来、久々の焼き肉ランチ。叙々苑赤坂田町通り店です♪
一昨日、「自由とは何か」という本についてUPしたところ、たまたま昨日、塩野七生先生の「ローマ人の物語」から、”自由”に関して、端的に言い表していたフレーズを発見しました。
さすがは塩野先生です。
あまりに見事に言い表してますが、オススメするにしてもそこまで到達するのに15巻目かかるという、すぐに読めるシロモノではないので、その部分だけ抜き出しました。
以下、ご参考くださいませ。
自由と秩序は、互いに矛盾する概念である。
自由を尊重しすぎると秩序が破壊され、秩序を守ることに専念しすぎると、自由が失われる。
だが、この二つは両立していないと困るのだ。
自由がないところに進歩はなく、秩序が守られていないと、進歩どころか今日の命さえ危うくなるからだ。
この考え方は狂信とは無縁の思考法である。
しかし、哲学を産んだギリシア人や法律の父になるローマ人にとっては、ごく自然で肌になじんだ思考法なのであった。
ローマ人は法の創始者でありながら、次のような格言を遺しているのである。
「公正を期してつくられるのが法律だが、そのあまりにも厳格な施行は不公正につながる」
塩野七生・著 ローマ人の物語から「パクス・ロマーナ(中)」の一節
長いこと読むのを中断していた「ローマ人の物語」ですが、あの佐々淳行氏も愛読するという名著には、どうやら金言がいっぱいのようです。こちらは普段の朝飯です。
自由と秩序は二輪の車。
学校教育などでは、キチンとそのことを教えた方が良いですね。
どうも「自由」という言葉が、明治維新後に入ってきた新しい言葉なためか、はき違えて考えている人が多いようです。
今の世の中全体を見ると、まさに塩野七生の言う「自由を尊重しすぎて秩序が破壊される」現象があちこちで巻き起こっているわけであります。
ただ、難しいのが自由と秩序の線引きですね。
たとえば「報道の自由」と言いながら、「人権」(これも秩序の一つと考えるとして)を侵害してまで自由を許して良いはずもありません。
自由も人権も口当たりの良い言葉で、一部の方々の好きな言葉ですが、この場合互いを牽制しあう文字通りの矛と盾になるわけです。
突然、大阪。有名な串焼きの「横綱」、法善寺横町です。
学校教育では、そこまでの人材が育成できてないから仕方ないんだけど、世の中は矛盾したものどうしが、もたれかかったり、戦ったりして成り立ってることを教えません。
仮に「自由」と「秩序」が車の両輪だと教えるにしても、わが国の場合、規定を決めたがります。
もちろん、一定の物差しは絶対になければいけないのですが、日本人というには、微妙なさじ加減にも規定を決めないと満足しないところがある。
これこそが、ローマ人の言う「「公正を期してつくられるのが法律だが、そのあまりにも厳格な施行は不公正につながる」ことになるのですが・・・。
細かいところにルールを作らないと安心しない、ひとつの理由として、「人と同じ」ルールを共有することで「安心」するということがあるでしょう。
人と同じだと安心する、日本人の昔からの体質ですね。
ともかくも自由に慣れておらず、自由に免疫がなかった日本人に、いきなり秩序を軽んじた自由を与えたのが、今の世のありさまかなあ。
なんか、酒を知らない民族に酒を教えたら、アル中になっちゃったみたいな。
そんな意味では自由ってアルコールに似てるのかも(んなワケないか?)
おはようございます。
自由の反対語は、不自由とか非自由ではないのでしょう。
秩序の反対語は、不秩序とか非秩序ではないのでしょう。
分かりません。
と、無知をさらしつつ自由勝手に国語の秩序を乱して愚考しますと、
自由と秩序は、一体全体なんなんでしょうか?
分かりません。
自由、平等、博愛、無い物強請りなんでしょうか。
秩序は謳われなかったのですかね。
脳内世界では、なんでもあり。
日本の浮世のことは、フーテンの寅に訊くと早いかな。
やんごとなき世界は、お畏れながら、天皇陛下にお伺いすべきかな。
連休、アッシには関係の無い事でござんす、に逡巡するのは無料です。
お頭さん、おはようございます!
>自由の反対語は、不自由とか非自由ではないのでしょう。
うーん。
その辺の言葉の使い方については、あまり本質的な話ではないかと。
>自由と秩序は、一体全体なんなんでしょうか?
目に見えないものですからね。
答えはひとつでないし、また答えは出ないものだと思います。
ただ、無人島で生活するならいざ知らず、人間が社会の中で行きていく以上、必要不可欠なものだと思います。
>日本の浮世のことは、フーテンの寅に訊くと早いかな。
自由を語るのに最適の人物でしょうな。
リアルでまわりにいると大変だそうですよ。
当の本人もまわりが思うほど気楽じゃないでしょうしね〜♪