神への挑戦〜バベルの塔

こちらの絵はまだ描きはじめですが、クリスチャンの顧客の依頼で描きはじめた「バベルの塔」です。


右上の雲の部分にはクライアントのリクエストから、
↑ こんな感じで十字架が入る予定ですが、このことを含めて、この絵を描く際の個人的な2つの疑問があります。
先ずは、この物語が旧約聖書の「創世記」にある話なので、キリスト出現のはるか以前のことであること。十字架を出すのには、時代的な矛盾があってムリがあるということです。(え? おすもうエンジェル描いてるくせに何を言うって)。

もう一つの疑問は「バベルの塔」の何が神に対する背徳か、わたしに理解できないことであります。
もともとの旧約聖書でバベルの塔は、当時の最新技術を駆使して空中庭園を作り上げる話です。ソドムとゴモラが悪徳によって神に滅ぼされたのは理解できますが、それに比べてバベルの塔は、人類が努力して進歩しようとする事を否定した話ではないかと感じられます(いったい何が悪い?)。

この点に関してはクライアントと相談しますが、完成する絵は、バベルが崩壊 し、その後に復興された世界を再現し、祝典的な作品に仕上げたいと思っています。

↑ こちらはトップ画像のさらに前の段階
さて、それについてFacebookの書き込みでは、こんな意見も。
最新技術を駆使して何が悪い、という事を戒める為でしょ。
原発作って何が悪いみたいなことを。
なるほど。
確かにテクノロジー、最新技術が人を不幸にすることは多々あること。
個人的に反原発には与できないものの、この意見には一理あります。
それに対する、わたしのレスですが・・・
それもひとつの見方ですが、それは現代人の目線だと思います。いずれブログアップしますが、バベルは「神の領域」に近づくことが罪だということでしょう。
キリスト教原理主義の考えでいうと、iPS細胞も神への冒涜です。だとしたら、わたしはその考えには賛同できないなあ・・・
あとで考えてみましたが、この「現代人の目線」というのは、旧約聖書の時代の最新テクノロジーで、同じような可能性はあったかもしれないので、必ずしも当たらないかもしれません。
胆は、神に近づくことが、なぜ「神への冒涜か」ということが、バベルの物語にあると思うのです。
そのことに関する米がこれ。

旧約の神は凄く人間的だからねぇ。自分が造ってあげた人間ごときが、勘違いするなコラッ!てな気分だったんだろうね。映画の天地創造では塔のてっぺんから王様が天に向かって矢を射ってるしねぇ。

このことは後日作品を描きながら、もう少し思索していきたいと思います。

クライアントは来年の春、十字架をあしらったグッズなどの店を開く予定なのですが、その時にこの「バベルの塔」の完成品が店頭に飾られるというわけです。

最初はバベルの塔を描くという話ではなく、「聖書にまつわる絵のスケッチを見せてください。その中から選んで決めたいと思います」という話でした。


↑その中で決めたのがこのスケッチです。


見ての通り、↑こちら拙作「大仏建立」と同じ構図ですが、こちらは見る人見る人、「バベルの塔」だと言われてきた作品です。

はじめクライアントから依頼をされた段階で、本物の『バベルの塔』を描いてやろうと、この作品を制作しはじめました。

仏教とキリスト教、節操なく両方のテーマで描けるのは、多神教の国、日本ならでは享受されたことかもしれません。

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