昨日「村上春樹を読めないわけ」の記事をUPしたところ、ツイッターの方に「実はわたしも」という声がいくつか寄せられましたが、加えて「実はわたし、宮澤賢治も・・・」という声が寄せられました。
宮澤賢治はわたしの大好きな作家なのですが、実は「よくわからない」「何が良いのか理解できない」という人も周りに大勢いらっしゃいます。
花風社のあ@花さんもその一人でして、源氏物語ぎらいを暴露したついでに、この際、「雨ニモ負ケズ」が理解できないのも暴露しますが、彼女は「雨ニモ負ケズ」の一番最後「サウイフモノニ ワタシモナリタイ」に、推理小説の”乗客全員が犯人だった”みたいな、意外な犯人に驚いたみたいにビックリしたそうです。
ここで「雨ニモ負ケズ」の中身をご存知ない方のために、その最後の部分を公開すると、以下の通りです。
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
この有名な詩は、賢治の死後になって彼のノートから発見されたものだそうで、「サウイフモノニ ワタシモナリタイ」のあとには「南無多宝如来 南無妙法蓮華経」という法華経の一節が記されていたそうです。
うーん、素晴らしい詩じゃないですか。
なんで、この詩がわからないの?・・・って、言いたいとこですが、ツイッターで「宮澤賢治がわからない」のを告白してくれた方曰く、「サウイフモノニなんか、なりたくないですよね」だって。
いや、まさしくその通り。
わたしだって「デクノボー」と呼ばれオロオロしたくはありませんからね。
インド人は死が近づいた時に、聖地バラナシに辿り着いて野たれ死にながら最後を迎える、そんな死に方を理想とするところがありますが、なぜか彼らほど即物的な面のある人たちもおりません。
賢治の「雨ニモ負ケズ」も多分にそんなところがあるのですが、賢治の場合、本当にそれを願っていた部分もあるのが大きな違いですね。
もうひとつ日本文学の話になりますが、以前、大阪市の橋下市長が心中ものの批判をして、人形浄瑠璃の予算を削ったことがありました。
あの処置に関して橋下氏が述べた理由というのは、「心中、つまり自殺を美化する」という、やや事後法に近いものだったので如何なものかと思ったのですが、実は心中ものを感覚的に受け入れない点では、わたしも橋下氏の意見と変わりません。
橋下市長の性格では、近松の心中ものは耐えがたいもので、多分見た時に「何じゃい、こりゃ?」とびっくりしたのは容易に想像できるところです(もっとも近松の文学の本質は正義なんですが、それがわりとわかりにくいのです)。
近松の最高傑作と讃えられる心中天網島(しんじゅう・てんのあみじま)では、紙屋治兵衛の女房が、浮気相手の小春の自殺を止めようと奔走するシーンがあり、今の感覚からすると、理解しがたい行動です。
で、けっきょく治兵衛と小春は心中しちゃうんですから、ストーリー的には「はて?」と思うフシも多しです。
人間、時代が経ってもその本質は変わりませんが、モラルや通年は大きく変わるもの。そんな意味では文学の賞味期限って、普通はさほど長いものではないのかもしれません。
↓ こちら2月閉店の赤坂ゴータマのガーリックナン。たまたま社長にお会いしましたが、新しい店舗の意欲満々でした。どーでもいいけど、次は日本人スタッフ入れろよな。
画伯が藤沢周平理解できるって、ウソだという疑惑をぬぐいきれないんだよね。
>新しい店舗の意欲満々でした。
なんだろう、なんだろう、なんだろう。
どこだろう、どこだろう、どこだろう。
フロアはニッポン人娘ぇ!?!?!?
藤沢周平さんは、すきでも嫌いでもなかったのですが、
大泉に長年住んでらっしゃったにも関わらず、大泉では近所付き合いは全くせず、街で声を掛けられても完全無視された方らしく、
大泉のために、何か残そうとは全くされなかった方だったそうです。
そんな話を知ってから、改めて藤沢作品を読むと、なんか嫌な奴に思えてしまうのが不思議でしたね。
あ@花さん、おはようございます!
>画伯が藤沢周平理解できるって、ウソだという疑惑をぬぐいきれないんだよね。
うぬぬ、昨日のツイートといい、失礼せんばんな方ですな。
わたくしは藤沢周平のふるさと、山形県庄内の赤川でスケッチをしてきたホドの男ですぞ(実はヤマガタ・サンダンデロの仕事ですが)。
映画と同じ、赤川のほとり。
あれ見たら、赤川だけに、”あか”ん””がわ”(アカンがな)・・・なんて、ウフッ♪
お頭さん、おはようございます!
>どこだろう、どこだろう、どこだろう。
>フロアはニッポン人娘ぇ!?!?!?
知りませんよ。
今度メール打ってみますわ。
わらべさん、おはようございます!
>そんな話を知ってから、改めて藤沢作品を読むと、
>なんか嫌な奴に思えてしまうのが不思議でしたね。
そりゃ間違いなく、嫌なヤツでしょ。
すぐれた作家が必ずしも良い人である必要はありませんので、よろしいのではないでしょうか。
作家の仕事は地元貢献ではなく、世間に良い作品を提供することです。
四十路も半ばすぎて、C型肝炎から来た肝臓ガンで没する享年69歳まで、藤沢作品の膨大さには驚くばかり。
20年あまりの作家生活の間にしても多い作品数であります(逆に20年強は作家として長い活動期間ではない)。
地元貢献どころか、人に挨拶する余裕もなかったのでしょう。
ちなみに私が壁画を描いているヤマガタ・サンダンデロは、本店が山形県庄内で藤沢周平とまったく同郷です。
名物の藤沢カブもペンネームのもとになった地名と同じにしています。
で、そんな藤沢周平の話をあちらにしたところ、なんとも冷淡な反応で「そうですか」という感じでした。
庄内には藤沢周平記念館なるものがありますが、あまり故郷での人気があるという感じではなかったですね♪