最近、私はこのブログで怒ってばかりいますけど、本日も怒りの導火線。
申し訳ありませんが、関心お持ちの方はおつきあいのホドを。
昨日は天気も良く、お彼岸の前日。
母も無事退院できたことだし、ご先祖さまに感謝と墓参りに出かけました。
ところがところが・・・いつもながら新宿区にある父方の菩提寺が大変でした。
ここのご住職のお母さまは、行くたびに、お金、お金、お金、と激しいのですが、
この日はさらにグレードアップ。
(ナニ、そんな話は初耳だって? そりゃそーです。今まで言いませんでしたから)。
やれ、お塔婆料が何本分。
やれ、互助会費がいくら。
3月15日が〆切りだったのに、まだ返事が来ていません、云々。
お宅はお子さんがいないから、将来無縁仏にならないよう、云々(ここで彼女、指をさす)。
・・・大きなお世話です。
親爺の葬儀や法事の時もそうだったけど、口座が止められてる最中にも
読経料がいくら、戒名がいくらと、攻めの手を緩めない。
(銀行は口座主が故人になったとわかった時、即座に口座を凍結します。
ただし然るべき書類の手続きがすべて済めば、凍結はすぐに解除されます)。
四十九日の時などは、墓に名前を刻む料金のことで、
それが読経料に含まれてるの、いないのと、
親戚一同の前で口論寸前に持ち込んだりと、やりたい放題です。
まー、どれも法要では普通にお支払いするお金なんだけど、
取り方や言い方が普通じゃないのが、毎度悩ましいわけでありまして・・・。。
ビジネスだったら簡単に取り引き停止にできるけど、
墓からお骨を勝手に抜くことはできず、けっこうなお金もかかるので簡単に縁は切れません。
そもそも檀家制度というのは、江戸時代、キリシタンでないことを証明するため、
寺が市民に戸籍を与えた制度でした。
お寺から身分証明書が発行されるシステムだったため、
寺院の権力が強くなり今日に至るというわけですな。
以前、このブログでもアップした友人の葬儀は無宗教で行いました。
法事や墓参りをしてフユカイな思いをするくらいだったら、無宗教の立場の方がラクだよな~。
もちろん、世の中には立派なお坊さんやお寺も数多くあるわけですが、
世間には私と同じような感想を持ってる方も、同じくらい多くいるのではないでしょうか。
墓参りのあとは家内の実家に行き、家内の叔父のお見舞い。
写真はそのあとに入った大泉学園の居酒屋あっけし。
先日のアド街でも紹介されたお店ですが、
北海道厚岸の食材をボリューム満点、格安で提供しています。
味付けもほどよく、なかなかの名店でありました。
菩提寺
おおマスオさんの父上の菩提寺は
ずいぶんな金儲け主義なのですね~
お寺が金儲けをするようになったのは、
高度経済の頃からかなと思われます。
みんなが豊かになったのだから、
このくらいは出せるでしょうと、
戒名料やら卒塔婆料やらが高沸したのでしょう。
お寺本来の宗教者の心得を忘れているとしか
思えませんね。
無宗教葬で困るのはこんどはお墓のこと。
無宗教のを用意しておくか、散骨するか、
どちらにしろ生前から怠りなくしておくかないと、
残された家族が困りますね。
それもまた今生の修行のうちでしょうか。
散骨のお値段
うちでは”がめつ山強欲寺”と呼んでいます。
お経をあげるのはお坊さんの仕事なので、報酬を受けることは当然ですが、墓参りに行ってヤな気分になるのは問題です。
私自身はインドのように川か海に散骨してもらいたい。
その方があとくされなくスッキリしますからね。
小さい頃、骨壷をお墓の中に入れるのを見て、あんなに暗くて狭いところに入れらるのはイヤだなと思ったことがありますもの。
もっとも散骨の本場、インドでも焼いてもらう方法によってお値段は違うそうで、一番高いのは白檀の木。一番安いのは電気釜で焼いてもらうことだそうです。