「みんな、飛び込んでますよ」


豪華客船が、航海の最中に沈みだした。
船長は、乗客たちに船から飛び込むように、
指示しなければならなかった。
アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、イタリア人、フランス人、日本人の乗客に、
さて、船長は、なんと言ったか?

アメリカ人には、「飛び込めば、あなたは英雄ですよ」
イギリス人には、「飛び込めば、あなたは紳士です」
ドイツ人には、「飛び込むのが、この船の規則となっています」
イタリア人には、「飛び込むと、女性にもてますよ」
フランス人には、「飛び込まないでください」
日本人には、「みんな、飛び込んでますよ」
(世界の日本人 ジョーク集 早坂隆 中公新書より)

↑ ちょっと前に流行った小噺ですが、
みんなと同じでいると安心するのは、確かに日本人の体質にありますね。
日本人の平等意識のおおもとが、こういった安心感をベースにしている。
私の友だちは、それを「友だち原理主義」と呼んでいますが、
ものの善悪を判断する道徳感より、
「みんなと同じであること」が最優先される社会というのは問題です。

以前、このブログでも聖徳太子の「和を以て尊しと成す」という言葉を取り上げましたが、
それは決して「みんな仲良く平等に」という意味ではありません。
(長くなるので、理由は文字をクリックしてお読みください)。

「平等」でも「自由」でもそうだけど、時として言葉は一人歩きして、
低い方に流れることがあります。
前に大手ネットのコラムに、成人式で騒ぐ若者を批判する意見に対して、
「個性尊重という立場から見たら、あのくらいのことは認めてやるべきだ」
という意見が堂々と載っていてびっくりしましたが、
それも戦後教育の生んだ、間違った自由の価値観だと思いました。

写真は麻布警察署の隣にあるケバブ屋さん。
500円で山盛りのケバブがピタパンにぎっしり詰め込まれています。
安くて美味しいのでオススメ。

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