歌丸師匠の真景累ヶ淵


例によって色塗り作業の間に落語を聞いてます。
お題は前回の「怪談・牡丹灯籠」に引き続き、三遊亭円朝・作の「真景累ヶ淵(しんけい・かさねがふち)」。
1回の上演時間が45分から1時間近くあるものが、CDにして5枚。
それでも上演される部分はほんの一部だというのですから、凄まじい。
明治時代に円朝が自ら上演してから、今日まで全部やったという噺家はいないそうです。

落語というと、とかく笑いの方ばかりに目が移りますが、ストーリー的な話の面白さを求めるものも多いですね。
円朝作の落語は、けっこう血なまぐさいものが多く、
この「真景累ヶ淵」も金に絡んで人殺しを繰り返す登場人物が不思議な因縁に操られていく、といった展開がベースです。
上演者の歌丸師匠が、アッサリとした笑いに変えて演じていますが、
ろくでなしの亭主が、病気の妻子の蚊帳を質に売って女通いの足しにして、
挙げ句のはてに、その亭主。子どもを殺して、妻を被害させるなんて・・・
いや~、普通に聞いたら陰惨な話ですねえ。

まあ、実際に江戸や明治にそんな話が珍しくもなかったのでしょう。
よく「江戸っ子は宵越しの金を持たねえ」なんて言いますが、
円朝の落語を聞く限りは、金で人殺しをするやつも多かったように思えます。
ただ、今のように借金をしても”待ったなし”ではなかったようですし、
お金がなくても何とか生きていける、それを助ける周りの共同体がしっかりしてたのでしょう。
ただ「人権」という考え方がなかった時代の話ですから、
聞いていて「ああ、命の値段が安いんだな」なんて思ってしまいました。
人の命が紙のように破られるんだもの。

円朝作の落語は、上演する回のたびに主人公が変わってしまうことが多く、
終わりの方には最初の話を忘れてしまうほど長く、登場人物も入り乱れてきます。
たぶん明治以後に入ってきたドストエフスキーなどの影響もあるのでしょう。
また話が込み入ってるわりに、最初と最後はキッチリ帳尻が合うという、何とも不思議な展開です。

複雑きわまりない構成の話ですが、歌丸師匠が「この人物は誰それ誰々の息子だよ」と、
ストーリーの合間に説明してくれるので、意外にスッキリ聞けるんですね。
そのうち誰か、「カラマーゾフの兄弟」でも落語で上演してくれたら、
文学も人気が復興するんじゃないかな。

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