知識やスキルは必ずしも人間を成長させない〜「キレる老人」になってしまうのはなぜ?

新年度から週二回、お子さんに絵を教えることになりました〜三つ子の魂百まで。

昨日のブログの続きです。

昨日のブログ記事の中で…
仕事に関しての技能的なことや、処世術みたいなことは年齢を重ねて覚えていくものですが、それとは別に人間は性根の部分では変わらないものなようです。
…と書いたのですが、 この話を妻にしたところ、「それは水平的成長じゃない?」と言われました。

そこで妻に話を聞いて調べてみたところ、「成人発達理論」というものがあることを知りました。それが昨日ブログで書いたことと、腑に落ちたので記事にいたします。

成人発達理論では、成長には「水平的成長」と「垂直的成長」の2つがあるとされているのですが、

で、両者を要約すると以下のような感じ

1、水平的成長とは知識量の拡大・技術の質の向上につながる成長のこと。知識や技術、専門性を獲得するのが水平的成長に当たります。

2、垂直的成長はものごとを柔軟に判断していける状態で、いわば人間としての器の成長。多様な価値観を受け入れ、多角的な視点を持ってものごとを進めることができるようになります。

知識量が増えると成長したように感じられるかもしれませんが、それは水平的成長であり、垂直的成長ではありません。

そうですよね。
知識やスキルが上がることと、人格的なことって、同じようで違います。

物知りになったり、歳を重ねたりすると、それなりに人間が出来てくるような気がしますが、そうとばかりも言えない。

反対に「能力のない人格者」というのも困ったものですが、知識や能力は訓練なしに身につくものではないので、そういうケースは少ないのかな。

そういえば友人のドクター(歯科医)が、「自分は子供の頃からまったく変わってないようだ」と言ってましたが、それは長年かけて知識やスキルを身につけたことは置いておいて、この垂直的成長のことを言うてたのでしょうな。

近年とみに増殖中の「キレる老人」というのは、この垂直的成長がなされないまま年を重ね、年齢が高くなって自分はエラくなったと、勝手に勘違いしていることから来るのかもしれません。

そう言えば先日、子供さんとこんな会話をしました。

「せんせ、日本で一番最初にバナナを食べたのは誰だか知ってる?」

「いや、知らない」

「ヒントね。ほんのうじでころされた人」

「え? 織田信長?」

「そうだよ、信長が日本で最初にバナナを食べたんだよ」

びっくりして、あとでネットを見たら、ルイス=フロイスから献上された…という説があるそうです。

聞いてみれば、この子…歴史が大好きだそうですが、信長がバナナを食べたかの真偽は別にして、知識はこうして積もっていくのでしょう。

続きはまた後日。写真は昨日の上野公園です。

 

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