一昨日の土曜は旧赤坂小学校時代のクラス会でした。
毎年のようにやっていたクラス会でしたが、今回はコロナ禍で3年ぶり。
心臓の大手術から見事復活した友達もいれば、 白血病から生還した友達もいました。
そんな中、世を去ってしまった友達もおりました。
彼の名はQくん。
拙著「神様のレッスン」のQ太のモデルで、およそ3年前に亡くなった後に彼のことを書こうと思いました。
▲ヒデのモデルになった友達は元気にクラス会に出席しておりました♪
▲生きていれば避けられないトラブル。
そこから脱け出す知恵がこの本には詰まっています
Qくんは小学1年の半ばくらいに台湾からやってきました。学年は一緒ですが、年は一つ上でした。
来た時は言葉も不自由だったようですが、すぐに流暢に喋れるようになり、 運動神経も良かった彼はクラスのガキ大将(今では死語ですが)となりました。
いや〜私なんかはよくイジメられたよね。
小学4年の時、新卒の先生が担任になったことをきっかけに、Qくんが中心になり学級崩壊が起こりました。後できいたら、彼はその先生のことが好きで気を惹こうとして暴れていたそうです(笑)。
当時、台湾に徴兵があったことで、勝手に軍隊なるものを作って、同級生の男子に軍曹だ伍長だと階級を作って呼んでおりました。ちなみに私は二等兵だったかな。
彼が亡くなってから聞いたことですが、当時、Qくんが荒れていたのは、実は上級生からいじめを受けていたことが理由のひとつだったそうです。
台湾人であることや、学年で目立っていたことがその原因で、実際の暴力以外に言葉の暴力がひどかったみたいね。でも小学校のクラス会には出ていましたから、赤小時代の友達のことは好きだったのでしょう。
その後、語学を生かして中国でビジネスをしていたQくんでしたが、長いこと上海や台北、香港を行き来して、しばらくクラス会から遠ざかっていました。
それが丁度3年前、中国の不穏な動きから脱するためか、日本に永住することを決めて戻ってきました。同時にクラス会も開催。みんな良い人なので、再会を喜んだことは言うまでもありません。
Qくんはその前に何度か脳梗塞を起こしていて、多少言葉に不自由がありましたが、元気で出席。医者の友人のトークを交えて、倒れた時のエピソードを面白おかしく話してくれました。
「またQちゃんが来てくれて嬉しいよ。来年もやるから来てくれよ」
「これからずっと日本にいるから、大丈夫。グレコからの連絡し待ってるよ」
それがQくんとの最後の会話になりました。
クラス会からまだ日が経っていない、これからという時になんと残念なこと!
亡くなった原因は心筋梗塞だったそうです。
これまでも何人か、世を去った友人はおりますが、考えてみれば人間の死亡率は100%。残された私たちとすれば、これからも元気で会えるようにしていければ良いなと考えています。クラス会、幸せな時間です。
そう言いつつ、二次会の席では沈没してずっと寝ていた私ですが…(呆)。