昨日は「英雄たちの選択〜藤原道長 平安最強の権力者の実像〜」を見ました。
そういえば、私にとってこの人…「望月の欠けたる…」のお歌と、日本最初の糖尿病認定患者、そして光源氏のモデルの一人だということくらいしか、知らなかったのですが、いや〜興味深い番組でした。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることも なしと思へば」
望月の欠けたることもないくらい、私はこの世のすべてを手にした、といった思い上がりの代表みたいに言われる道長の歌ですが、私は少しそれに疑問を持っていました。
だって、晩年の道長は糖尿の合併症による飲水症や白内障、そして壊疽にも悩まされていたフシがあるんですもの。最期は背中に出来た乳房ほどもあるデキモノに、医者が針を刺したら悲鳴をあげて、しばらくして息絶えたとか。
藤原道長は権勢のすべてを手にしながら、必ずしも幸せではなかった人だと、個人的には思っていました。
そういえば、昨年の12月に宇治の平等院に行きましたが、あそこは道長の長男・頼通が開基となって建立されたんだよね。
晩年、糖尿の合併症に苦しむわが父の鎮魂の意味も兼ねて建立したのが、平等院鳳凰堂と言いますから、それは気の毒な最期だったに違いありません。この世の権勢をすべて手中にしたかのような父だったからこそ、なおさらだったでしょう。
番組での焦点はズバリ、「望月の欠けたることも…」の歌が、実際に道長の思い上がりを表したものだったかという点ですが、実は少し違うのではないか、ということです。
番組はナビゲーターの磯田道史さんと、歴史学者の倉本一宏さんという、古文書が読めるお二人が出演していましたが、望月の歌は、道長が20年以上にわたって書いたという日記『御堂関白記(みどうかんぱくき)』には記されてないというのです。
それでは「望月の歌」はどこに書かれていたのかといえば、道長と対立していた右大臣・藤原実資(ふじわらのさねすけ)が記した『小右記(しょうゆうき)』でした。
なるほど、「パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない」とフランス革命の時に、マリーアントワネットが言ったと(デマだそうです)いうようなものかな。
敵対勢力が相手を蹴落とすための言葉だったのが、後年、想像だにしたいほど膨らんだ例なのでしょうが、「パンがなければケーキ」と違うのは、どうやら道長本人が、本当にこの歌を詠んだだろうということです。
そうだよね。
磯田さんも倉本さんも「この歌を詠んだ時は、ベロベロに酔っ払ていたんじゃないか」なんて言ってましたが、それはそうかもしれません。
思い上がった歌と言われながらも、これって性格の明るい人が詠んだ歌ですよね。
それも当時の天皇陛下をさしおいてこんな歌を詠むなんて、スキのある人が、気が大きくなって歌ったものかもしれません。
後年になって道長の日記は「御堂関白記」と呼ばれてますが、道長自身は関白にもなっていないのだから、身分の上で言えば最上位でもなかったわけですから。
道長は当時、宮中で大人気だった「源氏物語 」のプロデューサーもしていたようで、政治の手段としても使っていたようです。
なるほど、さめざめ泣いている陰のキャラ・光源氏のモデルと言うには、 道長は陽に傾きすぎてますもの。紫式部がプロデューサーに花を持たせるべく、それらしく見えるようにしたのかもしれません。
それにしても糖尿はコワい。
私も今のとこないけど、父がそうだったから気をつけないと。
糖尿になったら、とう(し)ニョウ(どうしよう)・・・なんて、苦しいけどウフッ♪