久しぶりにアートのお話です。
本日の朝、日曜美術館「ゴッホ 草木への祈り」を見ました。前に一度見てるはずなのですが、今回なぜか見入ってしまいました。
そしたら妻に「ゴッホのこと好きだよね」と言われ…
アレ? オレ、ゴッホが好きだったのかな。
そういえばそうだったかなと思ってしまいました。
日本人に人気のゴッホ展は、かなりの率で見ていたし、ゴッホを油彩でアニメにした作品も見に行きました。
私がはっきり尊敬していると意識する洋画家は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ベラスケスといった人たちですが、そういえばゴッホはどうだったかな?
ゴッホは尊敬している、というのとは違いますが、たしかに好きな画家かもしれません。でも、棟方志功先生みたいに「わだばゴッホになる」というようなことはなく、できれば、ああはなりたくなくない画家の一人に違いありません。
今回取り上げられていたメインの絵は晩年の「糸杉」の連作でした。
カメラは糸杉のマチエール(画肌)を接写し、ゆっくり移動するといった演出でしたが、それによって私はあることに気がつきました。
大抵の絵は眺めていると、描いた人がどんな気持ちでいたのかを(プロやアマのレベルに関わらず)感じとることが出来るのですが、ゴッホの絵だけは、どんな気持ちでいたのか、分入って行くことができないのです。
いや、何で今まで、気づかなかったのだろう。
ゴッホの絵は、ある程度以上のところに、心が入っていくことが出来ないのです。
これは私だけなのかもしれませんが、たぶん、あまりに気持ちの持ち方が違うからなんでしょう。
これはゴッホが精神に異常をきたしていたとか、そんなことではなく、たぶん心のありようがまったく違う人だからなのだと思いました。
しかしながら番組で取り上げられていた「糸杉」(wikiより転載。上から描いた順に並べました)を見ると、晩年に近くにつれ、心の平安がなされていったように見えるのが不思議でした。
自画像もそうなんですが、耳を切った直後のものは穏やかなのに、それ以前の自画像は「ぜったい、この人に近づきたくないな」と思わせる顔つきなのですね。
最後にピストル自殺を遂げるのですから、晩年が幸福だったはずはないのに、これはなぜなんでしょう?
そういえばゴッホのピストル自殺も不思議な話で、ひとおもいに死ぬつもりだったら、頭部に銃口を向けたはずですが、ゴッホは胸にピストルを当てていたので、死ぬまでに時間がかかっていました。本当は何かの救済を求めていたのかな?
最後の言葉が「このまま死ねたらよいのにな」というのは、どんな意味だったのでしょうね。
さて、番組ではゴッホ研究家の方が、3枚の糸杉の絵に、牧師になりたかったゴッホの信仰を見出していましたが、私もそれはそうだと思いました。
ただ、ゴッホが最後に信仰していた神は、キリスト教で言う神ではなく、わが日本神道に近い自然信仰の神だったように思えます。
ゴッホが衝撃を受けたという、名もなき日本の絵師による稲穂の絵が、それをあらわしていたようにも感じました。
ゴッホのひまわりを収蔵しているSONPO美術館に、ゴッホとゴーギャン、そしてセザンヌの年表が並べてありましたが、並べた順通りに長生きして、一番長生きしたセザンヌが社会的な成功をおさめています。
ゴッホも長生きしたら、もっと良い思いもできたろうに。