都立高 4割余が地毛証明求める〜思考停止に罰することに腐心する人々、マスク警察も自粛警察もこれに同じです。

都立高 4割余が地毛証明求める

もうマンガかと思うくらいの世界ですが、これってホントみたいですね。

私も都立高校出身でしたが、私服自由の高校だったので、もう理解不能です。
40年前に比べても、人権とか差別とか声高に言う時代なのに、言ってることとやってることが違うじゃないかと思うのですが、これは典型的な思考停止ですね。

思い出されるのは、藤沢周平が新井白石の生涯を描いた小説「市塵(しじん)」の中の一節です。

細かい言い回しは忘れてしまいましたが、“生類憐れみの令”を施行した徳川綱吉公について、「法を守らぬものを罰することに腐心し、それに重きを置いた人物」と評しています。
最近の研究では、綱吉公はそこまでしなかったそうですが、藤沢周平が評したことと、地毛証明を求める学校側、そして現在のマスク警察や自粛警察はまさに罰することに腐心した人たちと言えるでしょう。

ルールを守らぬものを罰したがる人たちに共通して言えることに「思考停止」があります。いわば勘違いをした正義のありようですね。

ルールそのものが正しいかどうかに疑問を抱かず、決めたことを「悪」と決めて一方的に断罪する人々と言いましょうか。
極端な例ですが、ナチスが起こしたユダヤ人大量虐殺は、こうした“勤勉な愚か者”が、右から左へと罪のない人間を裁いていったのですね。あ、すみません。愚か者は差別用語か(笑)?

また、「恐怖は生命維持の本能だから、コロナを恐れる人は当然のありよう」と言う人がいるようですが、それは問題のすり替えに思えます。

もちろん恐怖が生命維持の本能であることは間違いありません。
しかしながらコロナを不用意に恐れている人たちの中には、思考停止に科学的な根拠なしに「怖い」と思っている人が多いように思えます。

コロナが恐ろしく感じるのであれば、これから起こり得る経済の混乱だって恐ろしいはず。それを天秤にかけて考えるのが人としての思考力ですから、「恐怖は生命維持の本能」として正当化するのは、まさにすり替えにすぎません。
正しく恐れることをしない限りは、恐怖は混乱を巻き起こす元凶に過ぎません。

首都圏の首長たちも、そんな意味では本当に思考停止な恐怖に陥っているようですね。まあ、私も1票投じたクチですけど(苦笑)。

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