カミュの「ペスト」、マンゾーニの「いいなずけ」など、文学に見るパンデミックと、現在のコロナ禍の違いを考えてみました。

あと1週間ちょいで、この茶番の緊急事態宣言が解除されるようですね。
でも、解除されたあとも飲食店は9時までの要請とか、わけわからない解除なようです。

医師会の意見に政府が忖度しているのかわかりませんが、医学の話ではなく、政治の話になっていて、それなら経済の話を早くしろよと思うばかりです。

さて、昨年あたりから、カミュの「ペスト」がリバイバルでベストセラーになったそうで、映画でも、ここ1年余りは、パンデミックものが注目されてきているようですね。

「ペスト」は若い頃に読んだきりですが、さまざまなメッセージがありながら、意外にエンターテインメント性に優れた作品で、不条理の文学者カミュのイメージとは、だいぶ違うなと思った記憶があります。

小説と今のコロナ禍は共通点があるものの、ペストに比べて遥かに致死率の低いコロナの状況はだいぶ違う気がします(まあ、記憶もさだかでないのですが)。

小説はアルジェのオラン市という限られた場所が遮断される、舞台劇風の作りだった覚えがありますが、コロナは全世界に広まってしまったところは大きな違いですね。

文学では医者が大いに活躍しますが、コロナ禍では、医者がウソをつくところが違うところかな。もちろん全部の医者じゃありませんけど(笑)。

広まったけど、インドなどは治まってきてるそうで、いったいこれは何だったのか…文学のペストも、突然収束しますが、そうなってほしいものです。

マンゾーニの「いいなずけ」。
こちらも記憶が定かでないのですが、1630年頃ミラノを襲ったペストによるパンデミックが描かれていました。

マンゾーニは19世紀の人でしたから、見て書いたわけではありませんが、記述などを調べて書いたようで、パニックになる市民たちの様子は、現在のコロナ禍と一緒かな。ただ、ペストはヨーロッパの人口の三分の一を平らげてしまったこともあるくらいですから、これまたコロナ禍とは違いますね

ペストにかかった主人公が、あっさり治ってしまったのには、読んでいてびっくりしましたが、死んだ人ばかりではなかったのでしょう。

忘れてはならないパンデミックもの、小松左京の「復活の日」ですが、人類はもちろん、ほとんどの脊椎動物が死んでしまう設定でしたから、だいぶ違うかなという感じです。

個人的に一番、感覚的に納得できるのは、パンデミックものではない、トーマス・マンの「魔の山」です。

小説の後半だったか、「時間とは何か。それは一個の謎である」といった、時間の考察について記されています。

「魔の山」の舞台はスイスのベルスホークというサナトリウムですが、毎日、同じ単調な生活を過ごしていく患者は1年が、あっという間に過ぎ去ってしまいます。

「ここでは10年が1年と同じ感覚なんだ」(といったセリフだったかどうか)。

旅の時間は同じ10日でも、実際の生活より長く感じるといった、時間の感じ方について、マン独特の語り口で書かれていたのを記憶しています。

では、今のコロナ禍の1年。
あっという間に過ぎ去りながら、1年前が遠い昔に感じる不思議は、まさにマンの「魔の山」を想起するのです。

なんて、とりとめのないことを思い出してしまいましたが、早くこの騒ぎ、治まってくれないかな。

あ、治まってほしいと思うのは、病気よりもむしろ騒ぐ人のことですね。
コロナがなくなることはないと思いますが、騒ぐ人は、コロナが根絶されても騒ぎ続けると思うので、いい加減にしてくださいと思う今日この頃です。

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