静岡知事の「菅総理の教養レベルが露見した」発言で思い出した、物理学者だったわが父が、中学に進学できなかったかもしれなかったという話。

学者の静岡県知事、菅総理を痛烈に批判
「教養レベルが露見した」 日本学術会議問題で

話題の静岡知事…元学者さんだったのね。
不調法ながら知りませんでしたが、よく父が「学者でもバカはバカだ」と言ってた言葉を思い出しました。

いえ、俗に「バカって言う方がバカ」だそうですので、静岡知事の教養レベルの話をあれこれ言うつもりはありませんが、苦学を揶揄するような発言というのは如何なものかな。

まあ、語るに落ちたというところでしょうか。

さあ、静岡知事の話はもういいや。

このブログでも何度か取り上げてますが、私の父も菅総理同様に苦学した人でした。
昭和2年2月3日生まれだったので、大正15年生まれと同学年、典型的な戦中時代に教育を受けた人です。

最近、母から聞いて驚いたのですが、父は家庭の事情で当時の旧制中学に進学できなかったかもしれなかったそうなのです。
それを成績が良かった父のことを惜しんで、小学校の先生が強く進学を勧め、しぶしぶ父の母(私の祖母)は上の学校に行かせたようです。

順調に進学を積み重ねた父でしたが、二十歳の時からは、小学校だか中学で教鞭を取りながら、大学の学費を捻出しました。余談ながら、その時の教え子が4歳下だったジーイー企画センターの伊藤会長で、私にデザインのいろはを叩き込んだ恩人です。

だが、なぜ弱冠二十歳だった父が教壇に立てたのか?
先生と生徒の歳が4つしか違わなかったのはなぜか?
父が本当に教員免許状を持っていたのか?
そもそも、当時教員免許状があったのか?

詳しく父に聞いたことがない上、その当時の教育システムがどうだったのか、よくわからないので、今、考えると謎だらけですが(笑)。

ただ、二十歳の父が「教壇に立たせてください」と知り合いの校長先生に直談判したところ、「良かろう」の一言で済んでしまったのは事実なようです。

まあ、おおらかな時代でしたね。

父はその後、東京文理大学(現在の筑波大学)を卒業し、高校や航空高専の教員をつとめ、埼玉大学に論文の応募があって、助教授に就任しました。博士号もその間に取ったそうですが、どんな経緯だったのかはわかりません。

教授に昇格したのは、私が中学2年の時でした。
父が苦学したことは間違いありませんが、運も良かったと思います。

まあ親父だったら中学に行けなかったとしても、別の道で成功したと思いますが、人生に“もしも”はないので、わかりません。そうなっていたら、私はこの世にいなかったろうしね。

ただ、親父が進学できなかったかもしれない分岐点が、実は中学進学の時にあったというのが驚きでした。
中には同じくらい学力があって、中学に進学できなかった人もいたでしょう。そこで道が分かれてしまうことも人生はあるのですね。
すべては結果論ですが、様々な事情で学歴や経歴は変わります。
そんな父のことを思い出した次第です。

 

 

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