一昨日、六本木の新国立美術館に「ピエール・ボナール展」を見に行きました。
12月17日が最終日で、今さら「良かった」というのが申し訳ないようですが、 素晴らしい展覧会でした。
私は長いこと、この人を印象派の後期に属する人だと思っていたのですが、実際にはナビ派と呼ばれる人だったことに、ある時期驚いた記憶があります。
いや、昔は印象派に分けられていたような……どうだったったけな?
どちらにしても、なぜ、印象派だと思っていたかといえば、ボナールやヴュイヤール、ドニなどのナビ派の画家は、絵具のチューブからそのまま出した色あいや点描など、見た目には印象派と区別がつきにくいからです。
自然の光をそのまま捉える印象派の画家たちと違って、ナビ派の名前がヘブライ語で預言者を意味するように、彼らが目指していたアートはもっと思想的で象徴的なものでした。
▲ボナールを語る上で欠かせない存在が、この絵のモデルになったマルトでしょう。
マルトは本名マリア・ブルサン。あのチーズの名前と同じでしょうか。
ボナールに初めて会った時から、名前をいつわり、年も10歳以上ごまかしていたというから、なんか野村沙知代さんを思い出しますが、実際には神経症的な女性だったと言います。
▼Wikiによれば
異常なまでの入浴好きで、一日のかなりの時間を浴室で過ごしていたと言われる。実際、ボナールがマルトを描いた絵は、浴室の情景を表したものが多い。
32年同居して、籍を入れた時に初めてボナールは、マルトの本名と年を知ったそうですが、どの時彼がどう思ったかは、展覧会の資料には何も書いてませんでした。
まあ、それだけ長いこと一緒だったら、びっくりしなかったのでしょうね。
そんな経緯を見ながら絵を観賞すると、ますます興味深々という感じでした。
そもそも、32年も経ってなんで籍を入れたのかというと、当時のボナールにはルネという愛人がいたそうで、どっちを取るかという話になったそうです。
ルネはマルトより若く、ボナールの絵の中でマルトは隅に追いやられてしまいますから、当然、ルネの勝ち!……と思っていたところに、最終的にボナールはマルトを選んで籍を入れてしまいます。
その後、ルネはそれを悲しんだのか自殺してしまうというのだから、すごい話です。全くフランスの画家というか芸術家というのは、ロダンもそうですが、本当にクズ野郎が多いようです。
もっともロダンと違って、ボナールはもっと飄飄とした人だったようで、もちろんルネの自殺も悪意で追いやった訳ではないのでしょうが。
▲展覧会で興味深かったのは、ボナールの絵は立ち位置によって見え方が劇的に変わることでしょう。例えば上の、この絵は左斜めから見た時が一番、自然に見えるのですが、 それが絵によって変わって見えるのです。
ボナールはスケッチやクロッキーをした後は、モデルや風景を見ないで描いたそうですが、その分、空気感や臨場感がすごく、実際に画家が見ていただろう風景が思い浮かんで来ます。
立ち位置も同じことで、実際に画家が、その位置から数多く見ていたのではないかと想像させるところが面白いところです。
ボナール展、ギリギリのご紹介になってしまいましたが、ご参考になればと思います。
余談ながら、オルセー美術館の所蔵が圧倒的に多かったのですが、やはり箱根のポーラ美術館所属に良い絵がありました。明るく輝かしい、ポーラが好みそうな絵で、「ええもん、お持ちでんな〜(ふろむニセ関西人)」と言いたくなるような作品でした。