「ルーベンス展」行きました〜会場でぶつかってくるおじさん+席譲れおばさん

王の画家にして、画家の王。

学生時代に美術史家の中山公男先生が「西洋絵画はルーベンスを見なければわからない」とおっしゃっていたのを思い出します。当日、初めて欧州を旅行して、どこに行っても山のように飾られているルーベンスを目にして「そんなものか」と思った覚えがありますが、今にして考えると、まさにその言葉の通りであります。

そんなルーベンスのイタリア修業時代を中心にした、この度の展覧会。
平日ながら超満員の会場を見て、時代も変わったなと実感いたしました。

画家といえばゴッホのように生きているうちは、まったく認められず、死んでから有名になった人とは、まさに真逆の画家。
まさにルーベンスほど成功をほしいままにした画家は西洋絵画史上はもちろん、世界の絵画でも稀な存在でしょう。
なにせ宮廷筆頭画家であるだけでなく、フランドルの外務大臣までこなしていたというのですから驚きです。

画家でありながら、宮廷の仕事をこなしていたという意味では、スペインのベラスケスが思い浮かびますが、寡作な彼とは対照的に、弟子に仕事を割り振り膨大な作品を残したことでは対照的な画家と言えましょう。

今でいうと、ゴルゴ13のさいとうたかを先生が、脚本・作画・構成などを割り振って、膨大な仕事を残していることになぞらえることができます。画家が生きて行く上で、一番手本にすべき画家と言えるかもしれません。

「経営はルーベンスに学べ」なんてビジネス本、あったら売れるとかもしれませんね(笑)。

ルーベンスは、ルーベンス一人でこなした仕事と、弟子に割り振った仕事の割合で、細かい料金設定を決めていたそうです。

ただ、今回の展覧会はそういう受注された仕事以外に、西洋美術館所蔵の二人の子どもを描いたものなど、 ルーベンスの家族を描いたものもいくつかあったのが注目すべきところ。

それは神話を描いた作品とは一味違った、家族に対する愛情の溢れた作品なのですが、ルーベンスにいた8人の子どものうち、何人かは死別しているのですね。

とかくルーベンスといえば成功した画家ということにスポットが当たりがちですが、逆縁は辛いものだったに違いありません。

また、大勢の弟子をかかえていたり、自分の作品を版画にさせる時に銅版画家たちと軋轢があったりと、成功した人はした人で、私たちにわからない苦労もいっぱいあったことでしょう。

ほかにもこの展覧会は、絵と一緒にその時代背景などを読みながら見ると、楽しみは倍増です。

ただ、残念だったのは人出が多いせいもあるのですが、黙ってぶつかってくるおじさん(おばさんも)の多いことでした。
中にはチケットを出したところで、それをさえぎって出ようとしたおじさんがいて、これにはびっくりしました。まあ、トイレに行きたくてガマンできなかったのかもしれませんね(苦笑)。

歴史上、最も成功した画家の展覧会に、いささか残念ではありましたが、とどめは会場ではなく、帰りの地下鉄にいた「席譲れおばさん」です。年の頃は70才前後でしょうか。譲るかどうか微妙な年齢でしたが、席を譲って礼も言わなそうな感じだったので、私はそのまま動かないでいることにしました。

そしたら「席譲れおばさん」……正面にいた隣の女性に、バッグでスマホを押してプレッシャーを与えてはじめたではありませんか!

ものともせずスマホを見てた隣の女性でしたが、「席譲れおばさん」の後ろの席が空いた瞬間、最後っ屁のようにバッグをスマホにブチ当てました。

当てた瞬間、脱兎の如く後ろの席を確保。
そこまで速い動きが出来るんだったら、立っててくださいって感じですね。

まあ、昨今の高齢者……この人たちはどうにもならないので、自分がそうならないよう気をつけるほかはありません。

写真は展覧会の前に腹ごしらえをした、ヴェジハーブ・サーガの品々。
ここの野菜カレーはまさに絶品。展覧会と食事が良かったから、良しとしましょう♫

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