昨日からの続きです。
ポーラ美術館に行く前、立ち寄ったのが「星の王子さまミュージアム」です。
5、6年前に母と一緒に行って、今回が二度目でしたが、家内のリクエストということもあって、見え方が少し変わってました。
まず、何度も読んでいたはずの「星の王子さま」の物語や登場人物をすっかり忘れていたこと。帽子の形をした象とうわばみ、砂漠のキツネ、酔っぱらいやうぬぼれ男。
すべては記憶の彼方でした(苦笑)。
ハッキリ覚えていたのは、わがままなバラくらいでしたが……でも、ミュージアムをまわるうちに、フツフツと記憶が甦ってきたぞ!
そして、以前来た時は、なぜか“わがままなバラ“に惹かれたものですが、今回は何やらバラが気の毒に感じました。
この “わがままなバラ“のモデルは、サン=テグジュペリの妻、コンスエロだそうです。中米エルサルバドル出身、激しいラテンの血をひいた美人でコーヒー農園主の娘だったそうですから、わがままなのは当たり前でしょうか。
でも、テグジュペリはアフリカやらアメリカやら赴任して、少しも家にいなかったわけなので、コンスエロにも言い分はあったでしょうね。
まあ、夫婦でダブル不倫だったそうなので、どっちもどっちなのかな。
それにしても、サン=テグジュペリがサハラ砂漠で消息を断ったのは、よく知っていたのですが、それがなんと44歳の時だったのにも驚きました(多分、前に来た時も同じことで驚いたと思うけど)。
ケンカしたって好きで一緒になった相手だから、コンスエロだって悲しかったに違いありません。まあ、奥さんの方がツレがいなくなった時、はるかに強いとはいえねえ。
涙をさそったのは、サン=テグジュペリを撃墜したドイツ人パイロットというのが、子供の頃に「星の王子さま」を愛読していた人だったということでしょうか。
彼はそのことを知ってから、二度と再び操縦桿を握ることはなかったといいます。
今回「星の王子さまミュージアム」を再訪して、あらためて感じたのが、この物語は最初から出来上がっていたことだということです。
もちろん、サン=テグジュペリの砂漠の経験や妻との軋轢が元になり、作者の脳内で作り上がっていったに違いありませんが、この本は最初から作られることが決まっていた物語なのではないか、と思いました。
パウロ・コエーリョの「アルケミスト」には、“マクティーブ“という言葉で表現されていて、アラビア語で「それは書かれている」という意味だそうです。
見えない力によって最初から作られることが決まっていた作品が、「星の王子さま」だと思うのです。
短い物語ですが、決して「作ろう!」と思って書ける作品ではありませんものね。
それにしても、パリの街角を再現したような外装も魅力。
箱根に立ち寄ったなら、ぜひ見ておきたいミュージアムでしょう。
↓ こちらはミュージアムのレストランメニュー。
サンリオ・ピューロランドにもあった、キティちゃんランチみたいですけど、ウワバミのオムライス……ちょっと食べてみたいかな♪