静岡行きのちょっとした続きです。
Facebookに徳川慶喜公屋敷跡の浮月楼をアップしたら、けっこうコメントが届きました。
長生きしたんだとか(将軍歴代最年長の76歳)、子孫の同級生がいたとか、油絵を書いたり写真をたしなんだりと、多趣味だったとか。
徳川慶喜という人は評価の分かれる人で、調べるほどのどんな人だったのかわからなくなる方だったようです。水戸藩主・徳川斉昭の七男で、母は貴族の血をひくハイブリッドだったという出自が、この人の性格を複雑にしていたようです。
大政奉還後は、今は浮月楼となっているこの屋敷に、慶喜公は30年近く住んでいたそうです。引退は31歳ですから、よく知られている徳川慶喜の姿は、人生前半の三分の一ほど。まるでアスリートのような人生です。
武家の教育を受けていたから、いつでも腹を切る覚悟の度胸はあった人なようですが、懇意にしている人間を切り捨てる冷徹さは、いかにもお公家さんならでは。
「貴人恩を知らず」「貴人情を知らず」なんて言われたそうですが、実際のところはどうだったのでしょう。ちょっと調べてみたくなりました。