上野西洋美術館で開催中のクラーナハ展、行ってきました。
通常私たちが言う時は「クラナッハ」なのですが、たぶん「クラーナハ」は現地の発音に近いんでしょうね。ちなみに前者は変換するとクラナッハで出てきますが、クラーナハでは変換されません。
クラーナハ(父)は、ヨーロッパの美術館では至るところで見かける画家ですが、私個人はそんなに好きな画家ではなかったこともあって、この人がオーストリア、それもハプスブルグど真ん中の人ということも初めて知りました。
カラヴァッジョの時もそうでしたが、1人の画家を見る時はまとめて見ないと、本当の姿は見ることができませんが、まさしくクラーナハも同様でした。
画家にも上手い下手、フォルムにゆがみのある人ない人、いろいろですが、クラーナハはかなりゆがみの激しい人です(ない代表はベラスケス)。
ほかにもゆがみのある画家としては、エルグレコ、ティントレットなどが挙げられるでしょうが、こういう人の特徴としては、その分描くのが早い傾向があります。
クラーナハもものすごいスピードで絵を描いたそうです。たぶん描き直しなどはあまりしなかったのでしょう。初期の宗教画も、画面びっしりに様々なモチーフが描かれ濃厚この上ありませんでした。
注目すべきは、マルティン・ルターの宗教改革後の絵画でした。
周知のように、宗教改革はローマに逆らって生まれたプロテスタントという宗派で、基本的に偶像崇拝をいたしません。
そのためキリストをモチーフにした、イタリアのキリスト教絵画みたいなものは一切なくなるのですが、だからといって絵そのものが消えるわけではありません。
そこから肖像画の受注が多くなり、加えてに北方ルネサンスの台頭から裸体画はOK。
ギリシャ・ローマ神話をモチーフにした絵画もOKということで、ここからクラーナハのスタイルが確立されていったというわけです。
裸婦を描かなければ、クラーナハはここまで後世に名を残す画家にはなってないでしょうから、時代による運というのは面白いものです。
クラーナハの肖像画は、クライアントのご機嫌取りをあまりしない傾向があり、良いところも悪いところもそのまま描いたようです。
当時のその人の息吹みたいなものが感じられ、それはなかなか。
親友のルターを描いた肖像画もあって、只者でない感が満載。
誰かに似てるなと思ったら、ルターってハリウッド俳優のジョン・マルコヴィッチにそっくりなんですね。余談ながら(笑)。
もちろんクラーナハ展の白眉は、おびただしく描かれた裸婦の一群でしょう。
黒のバックに浮き上がった裸体画の数々。
この人があまり好きではなかったわたくしですが、見方が随分変わりました。
クラーナハの裸婦に関しては、長くなるので、また別の機会にでも。
展覧会は明日までの開催。
まだの方はぜひご覧くださいませ!
画伯、素晴らしい御解説を有り難うございます。
今、西洋芸術の歴史の勉強をしていますが、画伯の解説は、
本物です!
続きを楽しみにしています。
みふ蔵さん、こんにちは!
お褒めにあずかり嬉しく存じます。
続きはまた後日を楽しみに!